忘備録として


気力がある時に、、、


私のモーツァルトさまです。


母のお色は

どうだったかしら?


2月に実家に帰った時

あんなにあった数十年分の

母のカレと

私が預けているカレが

合わせても10枚ほどしか

クローゼットになかったのよねぇ〜


1カ月に最低1枚

12ヶ月で最低12枚

短く見積もって30年で1人360枚


2人合わせて最低見積もって

約720枚。

父が母と私に合うカレを

出張や旅行の度に購入してくれていたのです。


そうなんです。

母とワタクシ

お店出来るくらい

資料館出来るくらい

カレ持っていたんです真顔←過去形

大袈裟ねワタクシウインク


お正月にはあったの。

湿度と温度管理された

クローゼットの中に

きれいに収納されていたの。

しかもプレゼントされた順番にキチンと。


2/25最後に実家の母に会いに行った時

スッカラカンになってたの。


うーん、、、、、

どこへいったのかしら?


自宅が狭くて

ワタクシが実家に

預けていた

カシミヤやシルク、綿

上質な生地のお洋服


ケリードールも

ケリームーも

エルメスのバッグ全て


シャネルのバッグ全て


なんなら

お琴も三絃も

茶道のお道具も


見当たらなかったのよね。


母に譲ってもらった

クロコのプリュムも

たった一つ残した

父の形見の

オータクロアも


見当たらないの、、、、


勝手に母が

処分するはずないし

する時は必ず声をかけるし、、、


お掃除お片付け好きの両親。

実家はいつも

ピッカピカだった。


なのに、、、、

母のクローゼットは

泥棒が入ったのではないかと

思うくらいひっくり返って

散らかっていた。


自分で動けなかった母は

クローゼットがどのような状態か

全く知らない様子。


こんなことも

あんなことも

考えすぎてたら

身体壊しちゃったてへぺろ


夫から

ロージーの実家は

泥棒が住みついたか

追い剥ぎにあってしまって

お母さんの命だけでもあって

よかったと

気持ち切り替えな


言われ続けていたのに


気持ち切り替えれず

病気になっちゃった(苦笑)


とある作家さんの器も

マイセンも

バカラも


そして

父がある方から

いただいた思い出の

セーブルの陶磁器も


応接間の飾り棚から


キレイに消えていた。


お正月にはあったのに

2月にはスカスカになっていた。


母の部屋と居間以外

歩こうとすると

弟から

意味もなく呼び止められ


母のクローゼットに入ろうとしたら

5度呼びとめられ

6度目に適当にあしらって

無理矢理入ったら

あの有り様だった。


応接間に限っては

入ろうとしても

なぜか肩を掴まれ

最初は入らせてもらえなかった。


和室は

結局

入ることが出来なくて


ウィスキー収納庫にあった

ウィスキーの木箱が

全て無くなっていた。


年末年始に帰省してからの

この数ヶ月

自分の無力さと

現実と絶望で

たくさん泣いた。


そんな中

体調がなかなか戻らなくて


物質として何を持っていても

健康でないと使うこともできない

本心で実感した。


そのくらいしんどすぎて


病気になって

気持ちの切り替え

ほぼ出来た。


ここまで

しんどくならないと

気づけなかった

バカちん脳みそだった。


エルメスもシャネルも

宝石も

両親からのプレゼント。

琴も三絃も

ワタクシの大切な思い出の品


でも

ないものはない。


欲しいなら全て

あげる

と思ったものの

もう何も残っていないですが。


たくさん泣いたけれど

思い出は

間違いなく

私の心の中に残っている。


あれだけ

お金がないと

泣いて喚き散らし

母のせいで会社が倒産しそうと

意味不明なことを言いながら

相変わらず

贅沢三昧な弟一家


お盆休みに

家族6人で義理妹の国に

ビジネスクラスで

里帰りする弟一家


母の持っていた金品類は

全てどこかへ

消えた。


これでイイ

これが現実