取り込まれる…そう表現するのが
いちばん近い気がしました
 
 
前に『思考を手放す』って書いたけど
 
 
その次の日、湯殿山の階段を登った時は
目の前に連なる階段がどうしても視界に入って
その長さ、勾配に意識が向いてしまって
 
 
 
目の前の一歩に意識を向けていくことが
たびたび難しくなっていました
 
 
それでも前の人の歩みや
周りの草や木からのエネルギーや
木々や風の匂いや
この階段を作った先人たちへの感謝
 
 
 
自分を勇気づけてくれるものに意識が向くと
また足が動いてがんばれる
 
 
調子いい時とそうでない時を
行ったり来たりしてました
 
 
 
そんな時、前の方が列からそれて
その前の方とはちょっと距離があって
私の前を歩く人がいなくなったんです
 
 
 
すると急に、私の中に不安が溢れ始めました
 
『私が後ろの人の分も
 ペースを作らなきゃいけない』
『自分が前を歩くってプレッシャーだなぁ』
『まだ半分くらいだったら
 この足は持つのかなぁ』
『昨日の疲れが溜まってるし
 本当に最後まで行けるのか』
 
 
 
今こうして見ると
全部起きていないこと
私の妄想とか独りよがりだけど
 
 
 
その妄想が現実かのように思えて
急に疲労感が全身に襲いかかり
足が動かなくなりました
 
 
 
悔しいけど、私も列をそれました
修行中に初めて
自分の意思で立ち止まりました
 
 
もうダメだ、辛すぎる
そんな言葉が湧いて頑張れない自分が
とても悔しいけど
後ろの人が過ぎるのをぼんやり見ていました
 
 
悔しかったけど
なぜか少しホッとしてもいました
 
 
何人か過ぎると私も少し落ち着いたので
また登りめると
 
前の方が私が追いついていくのを
気配で感じ取りながらも
背中で待っていてくださって
 
 
『急がなくて大丈夫、後ろをサポートしますよ』
と言っているように前を譲ってくださいました
 
すごく嬉しくてありがたくて
パワーをもらえたから頑張れました
 
 
 
そしたらあと数十段で終わりが見えてきて
実はまだ半分くらいなんじゃないか…
とどこか思っていた私は面食らったけど
一気に元気になりました
 
 
 
着いたときの清々しさに感動しつつ
自分の自我に翻弄されていた自分が
あまりにおかしくてつい笑ってしまいました
ゼイゼイ言いながら
 
 
 
思い込みや不安って本当に強くて
自分の世界をあっという間に変えてしまう
 
 
そんなことを実感しました
 
 
 
だから、歩けなくなったのも
そこに気づくための大事な出来事でした
 
 
辛いという感情がそれを引き起こしているなら
もうダメだ〜っていう思考に
取り込まれそうな自分に気づくことも
もしかしたら大事なのかもしれない
 
 
そしてあまりにしんどいと
不安に取り込まれやすくなる
 
 
 
でも取り込まれる前にそこから離れて
今ここに戻れる自分になっていきたい
 
 
そんな気づきをいただきました
 
 
 
ありがとうございます🙏✨