日々の中で、
思わず問いかけてしまうことがあります。
「なんで、私だけがこんな目に?」
「どうしてあの人は、あんなことを?」
「なぜ、こんなふうになってしまったのだろう?」
──そんなふうに、
私たちは無意識のうちに、「なぜ?」という問いを繰り返します。
でも、よく見てみると、
この問いは私たちを自由にしてくれるどころか、
時に苦しみの迷路に迷い込ませてしまうことがあります。
どれだけ考えても答えが出ない。
何かに怒り、誰かを責め、
そしてまた、自分を責めてしまう。
その繰り返しが、
私たちの心をじわじわと疲れさせていくのです。
そんな時に
とてもシンプルだけれど、こんな視点を持って見るのも面白いです。
それは、
「なぜこうなったのか」ではなく、
「いま、何が起きているのか」に目を向けるということ。
理由や意味を探そうとするよりも、
まずは、「いま、ここにあるもの」をそのまま見てみる。
たとえば、
「怒っているな」と気づく。
「悔しいと思ってるんだな」と見てみる。
「すごく疲れてるな」と、感じてみる。
良いとか悪いとか、変えようとしなくていいんです。
ただ、そこにあるものを「ある」と認めるだけ。
それだけで、
心の中で何かがふっとほどけていくことがあります。
まるで、
ギュッと握りしめていた手をそっと開いていくように。
私たちの苦しみは、
外側の出来事からだけでなく、
「こうあるべき」「なぜこうなのか」と戦う心の中からも生まれます。
でも、
いまここにある事実をやさしく見つめること。
ただ、静かに気づいてみること。
それが、
苦しみを少しずつほどいていく、
とても自然で穏やかな道なのかもしれません。
特別な修行や努力はいらなくて、
今日の家事の合間にも、
帰り道の空を見上げるときにも、
そっと始めることができます。
気づいたときが、はじまりです。
「なぜ」ではなく「いま」。
問いの向きを変えるだけで、
私たちの心は、少しだけ自由になります。
その自由さを、
今日のどこかで、
あなた自身の感覚でふれてみてくださいね。