(注)長文です。

簡単なプロフィールはアメブロのプロフィール欄に掲載しています。

 

 

こんな長い文章、読む人いるのかなあ・・と思うけど、

自分のために公開。

 

 

石田舞子(イシタマイコ)

 

1978年宮城県生まれ。青森県出身。幼少期から高校までを青森で過ごす。

 

大学進学とともに上京。教育学部で教育心理、臨床心理を学ぶ。

大学院進学を目指し受験するも、どこも受からず。この頃はカウンセラーを目指していました。

 

とりあえずバイトしなきゃ、と応募した会社に、新卒で入社できることになり、

就職しましたが、営業が辛くて半年ほどで退職。

この時は「自分はなんてダメなやつなんだ」と思っていましたが、今思えばなんということもないです。

時が経つってこういうことなのかな。

 

カウンセラーになりたいという夢も消えました。

もし目の前に「死にたい」と言う人が現れたとして、自分にできることは何もない、怖いと思った。

自分のことさえ面倒を見切れないのにできるわけがない、と思いました。

 

それで、個別指導塾の講師をはじめます。

きっかけは、当時好きだった人に勧められたから。

彼にとってはほんのアドバイスだったのかもしれませんが、流されてたとこある。

自分のことは自分で決めようね、と言いたいです。

 

その頃、妹がデザインの学校に入るために上京。

私も、自分の好きなことを仕事にしてもいいんじゃないかと思うようになりました。

好きなことと言えば、雑誌です。中学の頃からファッション雑誌を読むのが大好きで、

1ページ1ページ、一言一句逃さず読んでいました。

それで、通信制の編集者養成講座を受講。楽しかった〜!

あまりに楽しくて、翌年、編集者養成校に1年通います。25歳の頃です。

 

この年、同い年のはとこが急死します。

かなりショックでした。小さい頃に一緒に遊んで、当たり前に存在していた人でした。

人はいつ死ぬかわからない。命は有限であることを知ります。

でも、つい忘れてしまいます。いまもつい、忘れます。。

人はなぜ生まれ、なぜ死ぬのかという命題にぶち当たりました。

 

 

編集の学校を卒業後、編集プロダクションに就職。出版社の下請け企業です。

ファッション雑誌の編集者にはなれませんでしたが、ホテルのパンフレットを作るお手伝いをしたり、

「好き」を仕事にしている人を取材したり、楽しかった。夢を叶えたぞって思いました。

でも、体がついていきませんでした。徹夜とかしてたな。

電車に乗ってつり革につかまったまま寝て、ひっくり返りそうになったことも(笑)

仕事の処理スピードが遅くて、追いつかなかった。半年くらいで退職しました。

 

その後、出版社に入社します。

アロマテラピーなどの自然療法を扱う雑誌編集部に勤務。楽しくて、頑張りました♪

美容系の別冊を作ったり、充実してました。

スピリチュアル系の雑誌も編集して、未知の世界だったけど、すんなり受け入れられました。

 

しかしながら、頑張りすぎて、体調を崩しました。

人前で話すのが辛くなった。6年近く勤務して退職。

その頃、同棲していた彼がいたんですが、いま思えば、ご飯作ったり、家事したり、

いろいろ頑張りすぎてたと思う。毎日残業してたし。

仕事も家事もできるスーパーウーマンになりたかったんだろうな。そんなの到底無理でした。

そもそも、家事、得意じゃないから(笑)

 

退職して、2〜3日したら体調も復活するかな、と甘く考えていましたが、

朝起きて、ご飯作って、洗濯するのが精一杯で、起き上がれなくなりました。

病院に行ったら、抑うつ症状がひどい、社交不安障害、と言われました。うつ病。

終わったな、と思いました。人は、「死にたい」って思うものなんだなと。

 

よく病院に行けたなと思うけど、心理学勉強してたから、

自分のことを客観的に見ていた部分もあったのかな。

ちなみに、1つ目に行った病院は、先生がパソコンばっかり見て、

こっちを見てくれないので、ここはダメ、と思いました。

2つ目の病院はよさげな先生だったし、血液検査とかもしてくれて、ここにしよう、と。

 

当然のように薬を処方されて飲んでいましたが、薬で治るものなのか?、という部分は疑問でした。

「うつは薬で治らない」みたいな本を読んで、そうだよね、と思った記憶が。

せっかく心理学勉強したんだから、自分で自分に心理療法をかけよう、と思い、実践。

認知行動療法的なものを自分にかけてました。自分なりにです、あくまで。

この時、心配してくれた友達が、さりげなく話を聞いてくれたりして、

そういうのでだいぶ、救われました。

 

それで、数ヶ月後、お金もなかったし、派遣で働き始めます。

「社交不安障害」でもあったから、外に出たくない、人と接するのが怖い、というのもありました。

人と話せないって、編集者として死を意味するよね。。どうやって切り抜けたのか記憶が曖昧・・・

大丈夫な相手と、そうでない人がいたような気がする。

権威を振り回す人とか、支配されそうで怖かった。

というか、そういう人が実際にいたというよりも、

その人の人物像を勝手に作り上げていたのは自分だったのだと思う。

 

派遣の仕事内容は、カタログ雑誌の編集補助。

こんな状況でも、編集の仕事についてやる、と言う根性がすごい(笑)。細くても長く、と思ってました。

それまでは第一線で編集者としてやってきたみたいな自負があったから(大したことないのに)、

自分、だいぶ落ちぶれたと思ってた。

でも、会議でしなきゃいけないちょっとした報告とか、怖すぎた。対人恐怖。

それで、心臓がバクバクするのを抑える薬を飲んでました。薬を全否定しているわけじゃなかったのね、私。

今思えば、「誰も自分のことなんて気にしちゃいない」と思うんだけど、

いまでも人前でしゃべるのは苦手だし、社会不適合者だと自負してます。

 

 

私の物語②に続きます。

https://ameblo.jp/grail-books/entry-12465989219.html