『ゲヒルンラッヘンに関するいくつかの考察』 | GRahAMBox オフィシャルブログ「箱とハレとケと。」Powered by Ameba

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 ゲヒルンラッヘンーーーこの言葉を聞いた時、各人に想起されるイメージはまちまちであろう。ある人は、ゲヒルンラッヘンという言葉を耳にするだけで、人生の中で一度あるかないかの感動的な体験を思い出し涙する。またある人は総毛立つ程恐ろしい気持ちになり、箸や茶碗を投げ出しすぐにその食卓から駆け出す人もいるだろう。またごく稀に、体の内側から湧き出でる原始的な野生の部分の目覚めを感じ、服を全て脱ぎ捨て、舌舐めずりをし、無意識の咆哮をする者もいるだろう。が、それはわすが少数でありそういう者は例外として考えていい。

 さて、ゲヒルンラッヘンとはなんであるか。この問は私達が生きていく上で必ずぶつかる問であるが、この問自体が意味を成さないことは明白である。多くの論文ではこの問に論を発し展開していくが、その始めの問に対する定義付けが曖昧であり、その後の展開する論の足腰が弱くなる。つまり、「ゲヒルンラッヘンとはなんであるか」という問は足掛かりとして考えるべき課題ではなく、ゲヒルンラッヘン周辺の課題に目を向けた後に、朧気ながらその答に近いものを掴む可能性のある、最終的かつおまけ的な問なのである。

 私がここで、「ゲヒルンラッヘンとはなんであるか」に言及することはない。私が考えるに、ゲヒルンラッヘンは定義される部類のものではない。人間が一方的に「ゲヒルンラッヘンはこういうものである」などと考えるものではないのだ。ゲヒルンラッヘンは考察される対象であってはならないのだ。もっと言えば、考える考えないに関わらずゲヒルンラッヘンとはそこに存在するものなのだ。私達が考えるからゲヒルンラッヘンがあるのではなく、私達は存在していなくてもゲヒルンラッヘンは確かにそこにある。「我思う、ゆえに我あり」とはデカルトが提唱した有名な命題であるが、この方法的懐疑から生まれた第一原理でさえも、ゲヒルンラッヘンをその内側に入れることはできない。ゲヒルンラッヘンとは宇宙真理であり、人間や、広く考えると地球や銀河系の存在などと関係した事象ではないのだ。

 ここまで書くと、「お前もゲヒルンラッヘンの定義付けをしてるではないか」という揚げ足取りにあいそうなので、「ゲヒルンラッヘンとはなんであるか」という問についての考察は止めることにする。前述した通り、ゲヒルンラッヘンの周辺の課題に目を向けていこう。

 ゲヒルンラッヘンは18世紀後半にオーストリアの音楽家フリードリヒ・ヌンベルガーがみつけた音階的発見であったが、今日ではその用途は様々である。一般に知られているもので、
・ベンガルトラの飼育のための用具
・幼児用の遊具
・大型トラクターの車庫入れ時の反転防止サスペンション
・南アフリカ共和国で一般的に用いられる香辛料
・高山での雪焼けを防ぐため顔に塗るローション(主にカナダ)
・ホッジ予想を解決する上で必要とする代数
・俳句や和歌に使われる夏の季語の一種。

などがある。挙げたのは代表的なものの一部で、細かく挙げていくとキリがないので割愛させて頂く。
なぜゲヒルンラッヘンはこれほどまでに全世界的に、用途が違う形で、広まったのか。ここにゲヒルンラッヘンの奥深さがあるのは過去何人もの研究者が述べてきた通りだが、それに明確な答を見つけ出したものはいない。かくいう私も、未だ解決に至っていないのが本当のところだ。
 一つ、この課題解決の糸口となるものをここで発表したい。それは、ゲヒルンラッヘンの持つ豊かな音楽性だ。通常、国や人種、その歴史によって音楽の発展はバラバラであり、そして各個人のレベルまで下げて考えるとその好みも人それぞれである。音楽性は時代によっても変化してきた。しかし、ゲヒルンラッヘンはその幅広い音楽性により、音楽性の違いという壁をすり抜けてきたのではないか、というのが私の見解である。ゲヒルンラッヘンの音楽性はそれに対する者の環境、人間性、時代性、全てを取っ払って人間の心に染み入るものであった。人間の別なく感じられるものがゲヒルンラッヘンであった。それがゲヒルンラッヘンの今日的な普及を止めなかった一つの原因であろうと私は推測する。非常に正確性が欠けるかも知れないが、これが私の導き出した、「ゲヒルンラッヘンはなぜ全世界に広まったのか」という問題の一つの答である。


 これまでゲヒルンラッヘンについて述べてきた。これがゲヒルンラッヘンというもののほんのごく一部のことしか触れていないという指摘は受け入れるしかないであろう。いや、一部にも触れていない、デタラメではないか、と憤る人もいよう。それも甘んじて受け入れるしかない。なぜなら、本当にデタラメだからである。ゲヒルンラッヘンのことを私は全く分かっていないからである。上に書いてきたことは全くの憶測である。もう一度念押しするが、本当にデタラメである。しかし逆に、私の考察を通して、ゲヒルンラッヘンとはかくも奥深いものなのかと考える一端となれれば幸いである。

 ここで私のゲヒルンラッヘンに関するいくつかの考察を終えることとしよう。

 最後に、ゲヒルンラッヘンを表現しようという集団の公演が近くあるというので、ここに記しておくこととしよう。ゲヒルンラッヘンについて分かるヒントになるかもしれない。足を運んでみてほしい。


GRahAMBox #a
南野大地オール新作書き下ろしコント集
『ゲヒルンラッヘン』
7月10日 (日)15:30開演/ 19:30開演
出演:GRahAMBox
場所:下北沢 空間リバティ
料金:¥1800
予約はコチラ⇒https://t.co/YoG9YCpJIg