第五十七どんとこい 「1922」 | ナメル読書

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「1922」(S・キング、横山啓明・中川聖訳、文春文庫)


こんにちは てらこやです


S・キング「1922」を読みました。この本は"Full Dark,No Stars"という中編集から2つの作品を訳したものです。


表題作「1922」は、殺人を犯した人間の顛末を描いた作品。


1922年、先祖代々の土地を企業に売り払い都市に出ようとするアルレットは、自家の農場を保持したい夫ウィルフレッドと息子ヘンリーに殺害され、古井戸投げ込まれる。父子協力してその露見を防ぐことに成功するものの、ヘンリーが隣家の同級生シャノンに手を出し、妊娠させてしまう。両家の話し合いにより、シャノンはオハマという街の施設へ行き、ウィルフレッドは賠償金めいた金を払うことになる。しかし、納得のいかないヘンリーは街へ飛び出し、シャノンを奪還し逃避行するための金を得るために罪を重ねる。一方ひとりになったウィルフレッドは妻の遺体に群集まっていたネズミに指を噛まれ、それが元で死の淵をさまよう。意識の混濁する中、幻影なのか霊なのか、朽ち果てた姿のままの妻が現れ、息子の悲劇的な末路を告げる。


命は取り留めるものの、左手を失ったウィルフレッドは結局農場も失うのですが、だからといってこの不幸が死してなお姿を現す妻という超自然的な存在の計らい、言葉を変えれば悪行の報いであるとは必ずしも言えません。


殺害された妻の言う(あるいは言ったとウィルフレッドの信じる)「ことの成り行きに満足した、ウィルフレッド?あんなことをやらかす価値はあった?」という言葉にある通り、それは誰かの意志であるというよりは、身を滅ぼすようにはじめから方向付けられていたとも考えられます。死者である妻からも恨みといった強い感情が見られず、この不幸への方向付けを冷笑と諦めをもって告げているように感じられるのです。


これこそ本当に不幸なことに、ウィルフレッドは妻殺害という「あんなことをやらか」さなくても、不幸にならざるを得ません。時代設定的にまもなくアメリカは大恐慌に陥ります。妻の意見に従い、素人が街で商売をはじめてもおよそたちゆかなくなるでしょう。また妻を説き伏せ農場を継続したとしてもまた、たちゆかなくなるでしょう。作品中にあるように、はるかに豊かな隣の農場でさえつぶれてしまうくらいなのですから。


悪を為すから不幸になるわけではない、という応報志向の否定は、「1922」で消極的になされ、もうひとつの作品である「公正な取引」で積極的になされます。


ガンで余命幾ばくもないストリーターは、「公正な延長、公正な価格」と書かれた看板を出すエルビッド(elvid、悪魔のアナグラム)という男に偶然出会う。エルビッドは、今後一五年にわたる収入の15パーセントの支払いと、密かに憎しみを募らせる友人(トム)を提示することで、寿命を延長させると請け負う。驚いたことに、次に検査を受けると病症は回復に向かっていた。代わって、街の清掃事業で隆盛を極めていたトムに、これでもかというくらいの不幸が襲う。妻がガンで死ぬ、息子が心臓発作の後遺症で介護が必要となる、経理係の持ち出し事件、娘婿の死、孫の死、会社の倒産、もうひとりの息子の起訴、息子の死……トムの報いはないままに物語は終わる。


悪魔との取引ものにありがちな、契約の不履行→悪への報いの発動はありません。それどころか、ストリーターの周囲には幸運ばかりが舞い込み続けたまま、こちらも物語は終わります。またトムに対する密かな憎しみの元というのも非常に些細な事柄であり、むしろ嫉妬と言えるようなものです。なのでトムの悪行に対する応報の貫徹というのも成り立ちません。この作品では悪の願いが罰せられるどころか、栄えるのです。


「もういいわ。人生は公平じゃないって、わたしたちには分かってるんだから」
「だが、本当は公平なんだよ!」ストリーターは真剣に言った。


それを予定された運命ととるか、処理し切れぬ偶然性の結果ととるかはともかく、幸不幸がひとの意志振る舞いとはおよそ無関係に生じるという(その意味で公平な)、事実ではあるがあまりの脈絡のなさにお話にしにくい事実を、読ませる話にするところにキングの力量があります。


1922 (文春文庫)
1922 (文春文庫) スティーヴン キング Stephen King

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