先日、東京での自主上映会で観てきた映画、『GATE』。
この世に二度と同じ悲劇を起こさないと願ったある日本の僧侶たちの祈りの行脚。
2005年7月、僧侶たちは、アメリカンインディアン、宗教や宗派を越えた平和を祈る様々な人々と共に、アメリカ、サンフランシスコから、世界最初の核実験が行われたニューメキシコ州のトリニティサイトまで、砂漠、山、250以上の街を越え、灼熱の中、2500kmの旅をした。60年間、祈りとともに絶やす事なく燃やし続けた大切なものを運んで。広島の原爆投下から採取した原爆の火。すべてが始まった悲劇の原点、グラウンド・ゼロ(爆心地)にその火を戻し、負の連鎖を絶ち永遠に眠らせる。
60年間、一度も開かれることのなかったトリニティサイトのゲイトは、果たして開かれるのだろうか。僧侶たちは、目的地であるトリニティサイトへ、一体どのようにして辿り着けたのか…。
『GATE』公式サイト http://www.gate-movie.jp/
今のこの時期だから、観て良かったと思う。
観ているあいだ、いろんな思いが込み上げて、涙が溢れてきました。
皆さんにも機会があれば是非に観てほしい作品です。
以下私の独り言的感想をぐだぐだ連ねましたが、私の稚拙な言葉では表現できない。
いろんな方に、作品を観て実感として心に落とし込んで頂きたいと思いました。
この旅で僧侶たちが行っていたのは、「核兵器反対!!」と声高に訴える運動ではない。
声を張り上げて、旗やプラカードを押し出して、相手に自分たちの意見・主張をアピールしたのではない。日本に原爆を落としたアメリカへの抗議活動ではない。
この旅の目的は、破滅の輪を閉じること。
僧侶たちの一歩一歩が、これまでの悲劇や苦しみ、そして平和への祈りになっていく。
核兵器は人間が作り出したものだけど、この悲劇において特定の敵は存在しない。
誰か特定の人物・国を止めれば問題が解決することではない。
核兵器は世界各国に存在し、この地球を一瞬で消してしまうほどの破滅のエネルギーを持っている。
破滅を作り出した「悪の要素」は人間の誰しもが、内部へ抱えたものであると思う。
映画の途中、仏教の教えで「一人ひとりは、大きな木の一本一本の枝に過ぎず、根っこは一緒」「人類みな兄弟」というのが語られる。
だから、人種とか性別とか宗教とか関係なく慈しもうと……
そして悪の要素も同じで、同じ木の別の枝が抱えているものは、全ての枝のものである。
だから、あれが悪い誰が悪いといって責め、憎んでしまっては、負の連鎖は永遠に続いていく。
一人ひとりの、「心の中」に平和を見出すことが、その連鎖を断ち切りほんとうの平和に繋がる。
僧侶たちはきっとそういう次元での祈りをしていたのだと思う。
ヨガを始めてからこういう視点を持てるようになった。
平和は心の中に見出すということ。
心の中の憎しみがさらに、次の憎しみを生み出し続けるということ。
社会で生きていると、まっさら平和な心を保つのは難しいけれど、
いつもそうあろうとする試みがヨガなのだと思う。
戦う相手は己の中にある。
だけどね、そのうえで行動をしなくては何にもならないのさ。
哲学を勉強して、アーサナを練習しても、それを生かして何をするかが大切なのさ。
自分には何も出来ないとネガティブになるのではなく、ね、ポジティブシンキングでしょ!!
……何ができるのか、、、行動しよう($・・)/~~~