「ある意味~~」とか「なんだか~~」とか「みたいな」とか。

口癖になっていると、曖昧模糊で会話していても、「何一つ決めない人」という印象がある。
ただ、乱発せずに使うことができるとかなり、コミュニケーションを柔和にすることができる。
外国人の日本語学校で教えるのだろうか?ぜひ教えてほしいものだ。
接続することで、会話の内容や、要件の感情付けや、温度感ががらりと変化してしまう。
便利であるがゆえに使い方は気を付けたい。
関西の友人で昔、語尾にかならず「知らんけど」をつけるやつがいた。
かなり正確なことをいっているのだが、最後に「知らんけど」をつけると、話の信頼度が95%ぐらいから一気に5%ぐらいまでダウン。
「そんなに落ち込むなよ。じゃあ、明日、飲みにいこうか!。のんだら元気になれるぞ!パーッと飲もう!・・・知らんけど」
なぜ、そこにつけるのだ!というタイミングでつけてくる。

本人は元気になるかどうか、わからないということを伝えるためにつけている言葉であろうが、の見に行くこと自体が怪しくなってしまう。
自分のことを考えてくれているんだなあと、感謝していた気持ちが、一気にどこかの誰かの物語に変容してしまう。
使い方を誤るともったいない。とても危険だ。
以前プチという接頭語もはやった。
プチ整形とか、プチガーデニングとか、いろいろ。
ちょっとだけやるみたいな言葉だが、こういうのもとても危険。
つけるだけで、軽くなる。深刻じゃなくなるニュアンスがあるのだ。
プチ誘拐、プチ失踪、プチ強盗、プチ殺人。
いや、どれも大きな犯罪だと思う。
でも黙読してほしい。言葉のニュアンスにより大きく変わる。
日本語だけではないと思うが、ニュアンスによって、ビジョンが劇的に変わる言語であろう。
暴走族だとかっこいいから、珍走族にしようと提案している人もいたが、日本語の妙技だ。
カラーコーディネーターならぬ、日本語コーディネーターも作ってほしい。
勉強になる。
妙技があふれる日本語だからこそのコピーライトのむずかしさがあるなあと思った次第だ。
自分が話すときも口癖がある。
「まあ、なんとなくだけど、俺個人の意見だけど~~~」
猛省して言い回しをかえるよう努力します。
みんなもあるでしょ。

・・・変えることはできないのかなあ・・・。
まあ、でも俺的によろしくない!
