いま、日本の世の中は人材育成が課題だと思います。

スポーツも例外ではなく、選手を育てる、指導者を育てる、スカウトを育てるなど、様々な育成の課題に直面しているのではないでしょうか。

野球だから、サッカーだから、バスケットボールだからと、分野ひとくくりにせず、様々な視点から学べることがあるのではないかと思います。

このたび、サッカーの育成分野についてたくさんの著書があり、日本だけでなく世界にも取材に回っておられるサッカージャーナリストの小澤一郎さんと討論会を実施させていただくことになりました。

僕は甲子園という、狭い分野で語ることになりますので、学ぶことばかりだと思います。また、世界をみているサッカー界からは勉強になることがたくさんあるのではないかと想像しています。

野球界のみなさん、一緒に、サッカー界から学びに行きましょう!野球だけの時代はとうの昔に終わりました。

討論会はこちらです。

ぜひ、ご参加ください。
よろしくお願いします。

 

 お陰様で初の単独書籍「甲子園という病」発売から1か月が経ちました。


 詳しくは何とも分からないのだけど、売れ行き好調とのこと。1回目の増刷が掛かったということなので、この場を借りて、感謝申し上げたい。

 

 さて、そんなさなか、甲子園大会が終わり、先ほど、U18侍ジャパンが出場していたアジア選手権も終わった(結果は3位)

 

 甲子園でも、ここでも、問題になったのは、やはり、投手の登板過多問題だ。

 

 周知のように、この夏の甲子園では、金足農業のエース・吉田輝星選手が大会通算で881球を投じ、県大会を含めると1500球に達したと話題になった。

 

 ただ、吉田投手の場合、金足農業が公立高校であり、選手を多く抱えられるわけではない。だから、登板過多はいまの日程上は、どうしようもないのではないか、という意見があったように思う。

 

 しかし、どうだろう?甲子園後に行われたU18アジア選手権は。


  日本を代表する選手たちが集まっての大会な訳だから、特定の投手の登板過多が繰り広げられたのは、いかがなものか。


  日本の投手が登板しなければいけなかったイニング数は、第1次ラウンドから3位決定戦までを数えると、35イニングあった。

 

 そのうち、吉田11回、柿木9.1回、渡辺3回、野尻3回、根尾2回、奥川、2回、山田2回、板川1.2回、市川1回。

 

 という結果に終わっている。

 

 接戦になるだろうと予想された韓国戦、台湾戦、来年のワールドカップの出場権獲得に負けられない試合だった中国戦は特定の投手ばかりが投げた。

 

 大会前、いや、メンバー発表があった時、私は日本高野連の竹中事務局長に、吉田投手の選出について「疲れ」を問題視する質問をした。


 その際に、竹中局長は「ドクターから大丈夫だと診断をもらっている」と答えた。決勝戦が終わったばかりなのに、いつ検診したの?と疑問に思いつつも聞き流したが、最大限のケアーをするというのが、日本高野連の見解だったと思う。

 

 しかし、実際は、大会直前の宮崎での試合まで登板を抑えただけで、本大会が始まると、吉田の登板は、かなり負担のかかるものだった。

 

 吉田は、韓国戦に登板して95球を投げた後、中1日で台湾戦にも出場して5イニング58球を投げたのだ。


 これは彼の甲子園の疲労を無視した采配だ。

 

 人気者となった吉田をエースとしたいのは分かるが、果たして、そこに、彼のベストコンディションを気遣う意識はあったのか。


 特に、台湾戦では、吉田のストレートの球速が落ちていたのに、永田裕治監督は交代させようともしなかった。

 

 その采配はまるで、多くの投手を選んでおきながら、継投策で失敗することを怖れ、すべての命運を吉田に預けることで「吉田で負けたら仕方がない」「吉田を登板させて、最善を尽くしました」と言っているかのようだった。

 

 3位決定戦の今日は、明らかな格下である中国に対して、

 板川佳矢(横浜)を先発させたが、1点を失うと、たった3分の2で交代させてしまった。

 

 そのあと柿木をマウンドに挙げた。彼も、甲子園、全試合に投げ、準決勝、決勝で連投したピッチャーだったが、吉田に次ぐ投球回数、球数を投げている。


 チームは大量点を奪ったが、柿木には5イニングと3分の1を任せた。

 

 来年のワールドカップのために2年生の奥川(星稜)にマウンドを経験させるわけでもなく、最終イニングとなった7回に根尾昂が登板しただけだった。

 

 ただ、永田監督のことを悪く書いたが、こうした采配は高校野球でよく見られる傾向だ。

 

 監督自身がエースと信じた選手以外には、非情なまでの采配を振るう。今日の板川が良い例だが、エース以外への信頼がないのである。


 これは永田監督の資質の問題も多少あるけれども、高校野球の指導現場にある体質といえるのかもしれない。

 

 金足農業は公立だから、選手層に限りがある。だから、複数の投手を使うのは無理だ。というのが多くの意見だろう。だが、この夏の甲子園でエースの山口に1試合184球を投げさせた済美もそうであったように、チームに他の投手がいても指揮官が選手を信用して腹をくくれない限りは、登板過多は避けられないのだ。


  試合に負けるということに異常な怖れをいだき、選手の成長や経験といった感覚で起用できないのである。

 

 そして、時には悲劇を招く(甲子園という病第1章、第2章を参照)のである。

 

 侍JAPANは、高校球児15万人の中から選ばれた代表だ。


 選りすぐりのメンバーであるはずで、いわゆる、「エース級」の集合体であるにもかかわらず、エースの吉田と優勝投手である柿木以外を信用できないという構図は、まさに、今の野球界の指導者の姿勢を示していると言えるだろう。

 

 「何が何でも勝ちたい」『負けられない戦い』

 

 と指導者たちはいうのだが、実際のところ、負けるのが怖く、その責任を負わされるのを避け、無意識のうちに、選手の身体のことを考えない偏った起用になっているのだ

 

 2013年と2015年の二度、ワールドカップで準優勝を果たした西谷浩一監督(大阪桐蔭)のように、しっかりとビジョンを持って投手起用ができる指導者もいるが、多くが永田監督に近いのだ。

 

 いわば、永田監督は、いまの指導者の現状を世に知らせたことになる。

 

 私は、指導者がそうなってしまっている背景には甲子園を取り巻く環境にあると思っている。


  それが『甲子園という病』というものだ。

 

 拙著ではそれについて、取り上げたつもりなので、多くの人が陥ってしまっている現実を知って欲しいと思う。








 

 

甲子園という病

 

 

 

 

 大変ご無沙汰してしまった。

 途中まで書いてやめ、また、書いてやめ、を繰り返しているうちに、だいぶと更新が滞ってしまった。

 

 そうして月日が経過しているうちに、

 ついに、私、氏原英明の初の単独書籍が発売される見込みとなりました。

 発売は8月9日なので、気が早い話なのだけれど、編集者の方が頑張ってAMAZONに挙げてくださってので、

 告知いたしたいと思う。ぜひ、手に取っていただければ。

 そして、感想などをいただけると幸いです。

 

以下、AMAZONより

 

【内容】

夏の甲子園は、二〇一八年の大会で第100回を数える。これまでにいくつもの「感動のドラマ」を生んできたことは確かだが、一方で「不都合な真実」に光が当たることは少ない。本来高校野球は「部活」であり「教育の一環」である。勝利至上主義の指導者が、絶対服従を要求して「考えない選手」を量産したり、肩や肘を壊してもエースに投げさせたりするシステムは根本的に間違っているのだ。監督・選手に徹底取材。甲子園の魅力と魔力を知り尽くしたジャーナリストによる「甲子園改革」の提言。  

 

【目次】

 

はじめに

第一章 玉砕球児が消えない理由
二〇一三年夏の甲子園。木更津総合のエース・千葉が投げたボールに観客席がざわついた。それは、甲子園の舞台ではありえないような「山なりのボール」だったからだ。

第二章 “大谷二世"を故障させた指揮官の反省
盛岡大付属・松本裕樹は"大谷二世"と呼ばれた二刀流の逸材だった。しかし、高校三年の夏に甲子園の舞台に立った松本のストレートは、最速時より二〇キロも遅くなっていた。

第三章 松坂大輔と黒田博樹から考える“早熟化"
甲子園を席巻した平成の怪物・松坂と、高校時代三番手投手だった黒田。しかし、メジャーでの成績は黒田の圧勝だ。彼ら二人の高校時代の恩師は、こう語っている。

第四章 メディアが潰した「スーパー一年生」
かつて中田翔と並び称された「スーパー一年生」がいた。しかし、メディアでもてはやされて自分を見失った彼は、卒業を待たずに高校を去る。本人による十三年後の告白。

第五章 プロ・アマ規定で置き去りにされた指導の在り方
プロアマ規定の「雪解け」は望ましいことだが、プロ野球選手だからといって指導がうまいとは限らない。高校野球の指導者に転じた元プロ野球選手が語る指導者論。

第六章 日本高野連にプレーヤーズ・ファーストの理念はあるのか
二〇一八年からタイブレーク制度が導入されたが、これはあくまで「円滑な大会運営」のため。そこにプレーヤーズ・ファーストの理念は見えない。

第七章 「楽しさ」を取り戻せ
グアテマラで野球指導をした経験を持つ田所考二は、福知山成美を六度、甲子園に導いた。成功のカギは、中南米で再発見した「スポーツを楽しむ」という姿勢だった。

第八章 甲子園出場を果たした「日本一の工業高校」
二〇一四年春、初の甲子園出場を果たした沖縄県立美里工業高校は、同時にもう一つの偉業を達成した。ある国家資格の合格者数で「日本一」に輝いたのだ。

第九章 偏差値70超えのスーパースターが誕生する日
歴史書を愛読する安田尚憲。スキーの全国大会で優勝し、中学時代はオール5だった根尾昴。二人の文武両道選手の存在は、従来の「選手育成」の常識に疑問符を突きつける。

第十章 高校球児の「模範的態度」と「個性」
神戸国際大付属は、かつて「神戸のやんちゃくれ」と呼ばれた問題集団だった。再生を果たし、甲子園にも出場した彼らの軌跡から考える「高校生らしさ」。

あとがき