今更、過去をほじくり返して、批判するのはナンセンスだ。

 

 僕は、これまで、高校球児の登板過多の問題に対して、疑義を呈してきた。

 

 オブラートには包みながらも、ルールで縛ることも大切だし、指導者にも責任があると言い続けてきた。投手の使い方などは、今の時代にはあっていない、と否定してきたつもりだ。

 

 しかし、信念として譲ってこなかったことがある。

 それは、過去をほじくり返して批判することだ。

 少なくも、自分が取材現場に立っていない時代の頃までさかのぼって批判するというのしていない。


  例えば、天理・本橋投手、あるいは、沖縄水産・大野倫投手、智弁和歌山・高塚投手。

 

拙著「甲子園という病」の中でも、過去の虐待シーンを触れつつも、僕がこの問題に立ち向かってきたのは、2008年の戸狩事件からだと書いている。

 

 今ほじくり返せば、批判の対象になるものばかりだけど、でも、当時はどんな時代だったかというと、投手が完投することが当たり前だと誰もが思っていた。僕もそうだった。指導者の勉強不足ではなく、社会全体が勉強不足だった。朝日新聞が高校野球の感動を売っていたからではない。

 

 当時を反省することはあるべきだけれども、批判するのは違うと思う。

 

 だから、星野仙一さんがかつてやってきた鉄拳制裁や、最近、ニュースになった横浜商大の佐々木監督の暴力沙汰についても、今、彼らを批判しようとは思わない。そういう時代だったから。

 

 しかしだからと言って、暴力を肯定しようという気にはなれない。


 僕は、人生の中で、人を殴ったことがない。だから、暴力を振るう人間の気持ちが全く理解できないのだが、どんな理由であれ、暴力はあってはいけないと思う。

 

 2013年の著書「指導力」にも書いたのだけど、指導の手法に暴力を使うのは「自分に指導力がないと言っているのと同じだ」。暴力に委ねることでしか、生徒を導くことができない恥るべき指導方法なのだ。

 

 今、時代が変わろうとしている中で、これから重要になっていくのは指導者とプレイヤー、教師と生徒の関係性だ。

 

 教師(指導者)が生徒(プレイヤー)に暴力を振るって、いうことを聞かせていることからもわかるように、日本の教育における、立場は、教師が圧倒的に上だ。


 教師が言っていることが絶対で、生徒は何も反論してはいけない。暴力に対しても、殴り返すこはまずできない。それをわかっているから、暴力教師は殴り続けて言い聞かせるわけだけど、それは、つまり、生徒側は受け入れ続けるしかないということである。

 

  それは果たして、正しい形なのだろうか。

 

 ドミニカ共和国の野球アカデミーの育成について、取材して研究している、阪長友仁さんがこんな話をよくしている。

 

 「向こうの指導者とプレイヤーの関係は上下ではなく、お互いをリスペクトしあっている」。

 

  プレイヤーは指導者を尊敬しているし、指導者もどんな選手であるかを理解することから始まって、彼らの人間性、アイデンティを大切にしているということである。

 

 メジャーリーガーで、現在はロッテのコーチをしている吉井理人さんも、初めて、メジャーのキャンプに参加した時の驚いたエピソードの一つとしてこんな話をしていた。

 

「ピッチングコーチから、俺はお前のピッチングを知らないから、お前の方から教えてくれと言ってもらった。極東の島国から来たどこの奴ともわからんようなピッチャーを尊重して、一人のプロ野球選手として見てくれた」。

 

 ちなみに、吉井さんは、近鉄の2軍にいた時に、『そのフォームじゃ、お前は使えへんからな』といわれて2年間くらい干されている。

 

 「リスペクト」というと、日本人の場合、少し言葉が重くなって受け入れがたいかもしれないけれど、指導者とプレイヤー、教師と生徒の関係性というものが、上下にならない教育・育成のあり方っていうものに転換していく時期に来ているのではないかと思う。

 

 最近の暴力沙汰ニュースを見ていると、暴力云々ではなく、そんな気がしている。

 

 何度もいうように、暴力は反対だ。

 

 でも、なぜ、教師や指導者は暴力を使うのか。

 それは、両者の関係性において、互いを尊重する姿勢がないからだ。

 

 加えていうと、人を傷つけ、威圧し、言って聞かせることだけが、暴力、体罰ではない。


 怒号や罵声、叱責なども、暴力体罰と同じ行為である。

 

 教師と生徒、指導者とプレイヤーの関わり方において、変わっていく必要がある。


 これからの教育のあり方、指導のあり方などが、転換していく時期なのだと思う。

 

 過去をほじくり返すのはナンセンス。

 それも忘れないで欲しいけど、これからは変わらなければいけない。

 

 人を大事にしよう。他者を尊重しよう。子どもを守ろう。

 

  教師や指導者が上ではないのだ。