リヴァース・ノーツ
惑星ヴェルメア、地球から12光年離れた赤い大地の星。
かつて植民地だったその星は、
今では静かに朽ちつつある。
そこに一人の記録技師が降り立つ。
名前はユーリ。
彼の任務は、
かつて住民たちが残した“記憶の断片”を回収すること。
ヴェルメアでは、
思い出が空気に染み込み、
音として再生される“共鳴石”があった。
石に触れれば、過去が響く。
「ママ、まだ帰ってこないの?」
「おかえり。今日も、よく頑張ったわね」
誰かの声。
誰かの孤独。
そして、誰かの愛。
ユーリは少しずつ記憶を集め、
やがて自分の亡き妹の声にたどり着く。
彼女もまた、
かつてこの星に送られたひとりだった。
最期の記録にはこうあった。
「誰かが、
想ってくれるだけで、
私たちはここにいた意味があるの」
ユーリは記憶石を胸に抱き、
再び宇宙へ旅立つ。
記録とは、
消えゆくものへの“祈り”なのだ。
第2章:失われた旋律
ユーリは、ヴェルメアの北東部にある“音の谷”に向かっていた。
かつてこの谷は、
共鳴石が多く採れた場所として知られていた。
今は廃墟と化し、
風の音だけが吹き抜けている。
彼の胸ポケットには、
妹の記憶が録音された小さなプレイヤーが収まっていた。
何度も再生しようとして、
何度も止めた。
「……まだ、聴けない」
思い出すのが怖かった。
あの頃の自分が、
彼女にどんな言葉をかけたのか、
どんな沈黙を残したのか。
記憶の再生は、音と同じ。
やさしいときほど、痛い。
谷に着いたとき、奇妙な音が耳に届いた。
――カリ、カリ、カリ……。
誰かが石を削っている。
そこにいたのは、
ひとりの老人だった。
皮膚は地層のように硬く、
瞳は金属のように鈍く光っている。
人間ではない。
“共鳴整音士”――かつて、
音の断片を調律していた人工生命体だった。
「……誰の記憶を集めている?」とユーリが問う。
老人は石を削る手を止め、
ポツリと答えた。
「未来のものだ」
「……未来?」
「まだ生まれていない音。まだ語られていない言葉。だが、消えゆく記憶の“隙間”に、それは確かに響いている」
ユーリは、
震える手でプレイヤーを取り出す。
そして、
再生ボタンを押した。
少女の声が流れる。
「お兄ちゃん、ヴェルメアって、ね、歌う星なんだよ。本当は、さびしくなんかないんだよ」
音が、谷に反響する。
記憶が、石に宿る。
その瞬間、
共鳴石が音もなく輝いた。
まるで、
星そのものが彼女の声を受け入れたように。
「……彼女は、星の中にいる」
ユーリはそう感じた。
記録とは、
過去を閉じ込めるものではない。
過去を誰かに“聴いてもらう”ことで、
未来に橋を架けるための旋律だ。
老人は、
彼の肩にそっと手を置いた。
「君の旅の終わりには、“まだ語られていない言葉”が待っている」
第3章:無音の街
その街は、音を失っていた。
正式名称は“第七植民区バレーン”。
だが人々の間では「無音の街」と呼ばれていた。
かつてこの場所には数千人が暮らし、
毎夜、星の下で音楽祭が開かれていたという。
だがあるとき、
共鳴石の全てが“黙った”。
音が消えたのではない。
記憶を拒んだのだ。
ユーリは歩きながら、
奇妙な違和感に気づいた。
足音が…
風音が…
まるで吸い込まれるように響かない。
まるでこの街全体が、
記憶からの断絶を望んでいるかのようだった。
そんな中、
崩れかけた劇場跡で彼は“少女”に出会う。
白い服。
銀の髪。
どこか地球の人間とは違う気配を持つ。
「……ここに音は、ないんだよ」と、彼女は言った。
「でも……あなたの中には、まだ残ってる」
ユーリは驚いた。
「君は、誰だ?」
少女は、少し笑って答えた。
「私は“欠片(フラグメント)”。忘れられた記憶の中で、形になれなかった想い」
少女は、
消えかけた記憶の集まりから生まれた存在だった。
“誰かの中で語られなかった言葉”だけを糧に、
この街に取り残されていた。
「ここにはね、もう誰の名前も、声も残っていない。でも……」
彼女はそっとユーリの胸のポケットに手を伸ばす。
そこにあったのは、
妹の声が入ったプレイヤー。
「この声だけは、まだ生きてる。ねぇ――この街に、響かせて」
ユーリは頷き、再生ボタンを押した。
……「お兄ちゃん、次に会うときは、もう泣いてないでね」
その声が、
街に流れた瞬間、
凍りついていた共鳴石が淡く光り始めた。
そして、
どこからともなく、
ピアノの音が響く。
誰もいない劇場で、
誰かの想いが音となって返ってきた。
「ありがとう」と少女は囁き、霧のように消えていった。
その姿は、ユーリの記憶に刻まれた“妹の面影”と、どこか重なっていた。
ユーリは、
ひとつの確信を持ち始めていた。
この旅の終わりに待っているのは、
過去を回収することではない。
「誰かの記憶を通して、“自分自身を再構築すること”なのだ。
第4章:星の遺書
ヴェルメアの軌道上に、ひとつの放棄衛星があった。
名を《オルゴール》。
かつてこの星の文明がまだ若かった頃、
音楽と記憶を宇宙に届けるために打ち上げられた通信衛星だった。
ユーリは地表の旅をいったん終え、
《オルゴール》へと向かう。
古いコードと航行データを解析し、
ゆっくりと…
そのドームの扉を開いた。
中には誰もいなかった。
だが、“誰かがいたという空気”が残っていた。
不思議なことに、
壁一面に人々の手書きのメッセージが刻まれていた。
“また会えるよ、きっと”
“この歌を君に送るよ”
“言葉が足りなかった。だから、残す。”
それはまるで、星の遺書だった。
ユーリは衛星の中枢にアクセスする。
ログがひとつだけ再生可能な状態で残っていた。
それは、20年前……妹がヴェルメアに送られる直前に記録されたものだった。
画面に映るのは、
まだ幼さの残る少女の笑顔。
「お兄ちゃん、聞いてる?」
「私ね、ぜんぶ怖くなかったよ。
たぶん、
誰かがあとでちゃんと、
思い出してくれるって信じてたから」
「私のこと、覚えていてくれる?
忘れてもいいの。……でも、音だけは消さないで」
その言葉とともに、録音されたメロディが流れる。
どこか懐かしい子守唄のような旋律。
ユーリが、かつてピアノで何気なく弾いていたメロディだった。
……彼女は、その音に希望を託して旅立った。
だからこそ、今、彼がここにたどり着けたのだ。
彼はふと気づく。
記録技師である自分は、
誰かの過去を回収するために旅をしてきたのではない。
「失われないように、記憶に“居場所”を与えるために、存在していたのだ」と。
ユーリは《オルゴール》の中で、
その旋律を再び流す。
今度は、自分の声も乗せて。
「……ミナ。ずっと探してた。
今、ようやく返事ができる。
聴いてくれて、ありがとう。忘れずにいてくれて、ありがとう」
その瞬間、
衛星の外側に広がる星空に、
淡い光の軌跡が走った。
まるでこの星そのものが、
音に返事をしてくれたかのようだった。
第5章:帰還、あるいは再生
《オルゴール》を後にしたユーリは、再び地表へ戻っていた。
かつて妹・ミナが送られた小さな居住区“ノヴァクレスト”。
すでに住民は去り、
施設は朽ち、
星風だけが鳴っていた。
だが、
そこには小さな端末がひとつだけ残されていた。
起動すると、
ミナの音声が、
まるで今日の日のために用意されていたかのように流れた。
「この星は、私たちを全部は覚えてくれない。
でもね、
誰かひとりでも“思い出してくれる人”がいたら、きっと私はここにいる」
「お兄ちゃん。
あなたがこの場所に戻ってきたら、お願い。
この星の記憶を、ちゃんと“誰かに伝えて”。」
ユーリは、長い沈黙のあと、小さく頷いた。
彼の旅は、
記録技師としての“任務”ではなくなっていた。
今、彼はひとりの“記憶の証人”としてこの星に立っている。
数ヶ月後。
ユーリは、地球へ帰還した。
彼が持ち帰ったのは、
膨大な記録……
声、
旋律、
断片的な映像、
そして音のない静けさの記憶だった。
それらは“リヴァース・ノーツ計画”の一部として、
今や多くの人々に届けられていた。
音を持たない星の記憶が、
別の誰かの心で“再生”される。
音を失った街、
記憶から抜け落ちた少女、
名もなき欠片、
そして……静かに歌う星。
彼は語った。
「人は、忘れる生き物だ。けれど、思い出そうとする限り、
その記憶は決して消えない。
……それが、僕があの星で学んだ、いちばん静かな真実です」
終章:ノートは、開かれたまま
後に発表された“リヴァース・ノーツ”は、ただの記録集ではなかった。
誰かの失った声を、
誰かが再び受け取るための……星をめぐる対話の本となった。
音は風に消え、
言葉は時に埋もれる。
でも、
それでも人は、
誰かに何かを伝えたくて、生きている。
そして今も、
静かな宇宙のどこかで…
新たなノートがひらかれている…