皆さん、こんにちは(・∀・)ノ
昨夜は、地下鉄ライブに来てくださり、聴いてくださり、足をとめてくださり、またたくさんの愛、笑顔、お手紙、プレゼント、そして、私のつたないブログにまて暖かい励ましのコメントメッセージ、、、もういいつくせないくらい、ありがとうございました



歌っていて、皆さんが聴いてくださるのが嬉しくて嬉しくて、なんか知らんうちに笑顔になってました。気持ち悪いくらい笑顔やったんちゃうやろか…
スイマセン


私の大好きな聖書の中に、面白いところがあって、
〓「もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。……」
(コリント人への手紙12章17節)
私はここを読んだら、いつも体全部が目になることを想像します。。気色悪い…



















目、耳、鼻、、、と体の部分が違うように、でも体は一つであるように、
支え合いながら、それでいてそれぞれがキラキラ輝きながら、恵みにより、まるで一人の人のように歌う=Gracemanの名前の意味なのですが、
昨日思ったのは、
私たちが心こめていくら歌っても、聴いてくださる方がいなかったら、全部口(くち)やったら、うるさくてしようがない…

ということは、Gracemanは、皆さんが聴いてくださって初めて、Gracemanとして歩いていけるんだなぁ、、と感じたのです

チョー簡単に言ったら、
皆さんがいてくださって、本当に嬉しくて、幸せです゜+。(*′∇`)。+゜
ということです!
Gracemanの耳のみなさま
…本当にありがとうございます




〓しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
(コリント人への手紙第一12章20節)
まゆまゆα('▽`)ω