「主の慈しみは朝ごとに新しい」
 クリスチャン生涯において、困難での戦いの時もあれば、困難を乗り越えた後の平穏な時もあります。困難の時は、最初は自力で乗り越えようとしますが乗り越えられず、主に祈り主の助けによって乗り越えて行きます。そして、平穏な時が訪れます。祈祷会で、マラキ書からみ言葉をいただいています。1~2章を読むと、バビロンから解放された神の民は神殿を再建した後、平穏な時代を過ごします。しかし、この時に民の指導者は私利私欲に走り、民も神の言葉に従わなくなっていきました。信仰者にとって、困難も戦いですが、平穏時も油断はできません。特に平穏時は、礼拝が形骸化、マンネリ化していく傾向があるからです。
 「主の慈しみは絶えることがない。その憐れみは尽きることがない。それは朝ごとに新しい。あなたの真実は尽きることがない。」(哀歌3:22~23)のみ言葉にあるように、主の慈しみ、主の憐れみ、主の真実は絶えることがなく尽きることがありません。それだけではなく、「朝ごとに新しい」のです。主なる神には、形骸もマンネリもありません。私たちは本日もこの主を礼拝します。この主からみ言葉をしっかりいただく時、私たちは朝ごとに新しい主の恵みをいただき、新鮮な主の恵みの水が泉となり、内から湧き出でる者にしていただけるのです。
「私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(ヨハネ4:14)。