「主の栄光をあらわす日々の働き」        
 「仕事(働き)をすることは喜びですか?」と問われたら、「はい」と即答できる人は少ないかもしれません。世の中では、「生きるために収入を得ないといけないので仕方ない」とか「家族を養うためにやらなければ」と答える人が多いでしょう。はたまた「自分の存在意義のために」という方もいるかと思います。誤った聖書解釈をする人々は、「あなたは生涯にわたり、苦しんで食べ物を得る」「土から取られたあなたは土に帰るまで、額に汗して糧を得る」(創3:17~19)より、「仕事(働き)は、人の罪に対する神の刑罰である」と言います。果たして、「仕事(働き)」は、「義務」や「刑罰」、「仕方なく」や「存在意義のためのもの」なのでしょうか?
 神がエデンの園を造られ、最初の人アダムとエバを創造された時、人が罪を犯す前から、神は人に「仕事(働き)」を「喜び」として委ねています。「海の魚、空の鳥、地を這うあらゆる生き物を治めよ」(創1:28)、「神である主は、エデンの園に人を連れて来て、そこに住まわせた。そこを耕し、守るためであった。」(創2:15)。これは神が造られた世界を神の御心(目的と秩序と計画)に従い、治める仕事(働き)です。神が人に対し信頼し委ねて下さった尊い仕事(働き)なのです。適度な休息を頂きながら、それぞれに委ねられた仕事(働き)を、共に喜びをもって成し、主の栄光をあらわさせていただきましょう。