「神の恵み深い御手が私たちの上にある」
先週は、デボーションでエズラ記の後半とネヘミヤ記の前半を読み、み言葉をいただきました。エズラがバビロンの捕囚の地からエルサレムへ向かう道中の個所とネヘミヤが帰還しエルサレムの城壁を再建する個所でした。このどちらにも記されている以下のみ言葉を味わいました。
「神の手が私たちの上にあって、道中、敵や賊の手から救い出してくださった」(エズラ8:31)。他にもエズラ7:9、28。「神の恵み深い手が私の上にあるということ」(ネヘミヤ2:18)。エズラはエルサレムに向かう道の困難な中で、ネヘミヤは神の民を励まし城壁を再建する中で、妨害者がいるにもかかわらず、これらの同じ言葉をいただき、主から与えられた使命を全うしたのでした。
「彼らの上に置かれた同じ神の恵み深いみ手が私にも、私達にも、この教会にもあるのだろうか」と、主を見上げ黙想しておりました。「神を尋ね求める者には恵み深い御手があるが、神を捨てる者には激しい憤りがある。」(エズラ記8:22)。「神を尋ね求める者には」とあるが、私たちは尋ね求めただろうかと自問自答した。そして一つのことを思い出された。あの創立75周年の時、私たちは「主を仰ぎ見て光を得よ~」と主を尋ね求め、見上げて賛美をささげたではないか。主なる神の 恵み深い手が私たちの上にある。