「聖霊により神の栄光をあらわし続ける」
10年以上前の話ですが、東日本大震災のボランティアの募集が教団からありました。教団聖会委員会の帰り、近くの駅まで送迎してもらっている車内で、「ボランティアに行こうかどうか迷っているのだけれども」と私は話し始めました。大震災のボランティアがどういうものなのかわからなかったし、どなたか知り合いの人と行ければという思いもあったからです。その時、ボランティア経験者のひとりの方から、「迷うような、そういう曖昧な思いでは行かない方がいいです」とピシッと戒められ自らの内を問われました。これとは別の件ですが、「ボランティアの方々の葛藤」という話を聞いたことがあります。最初は、「人を助けたいという純粋な思い」で行くのですが、疲労が蓄積し、自分の思いと現実のギャップで戸惑うこともあり、複雑な感情を持つとのことです。「本当に人を助けに来たのか」「被災者の助けになっているのか」「仕えることに徹底できているのか」「結局は、自己名誉、自己満足、自己達成のためではないのか」とです。マルタは、主イエスに喜んでもらおうと、主の栄光の為に奉仕を始めましたが、我力で成したために続かず、マリアを非難し、主イエスまで非難することになったのです。大切なことは、聖霊により主の栄光をあらわし続けること、これを徹底することです。この時のマリアは、主イエスのみ言葉を聴くことに徹底していました。マルタも状況に左右されずもてなしに徹底すべきだったのです。スタイルは違いますが、神の栄光をあらわし続けることこそが、「なくてはならない」ことでした。「しかし、必要なことは一つだけである。」(ルカ10:41)。聖霊により主の栄光をあらわし続けさせていただきましょう。