「お話しください。僕は聞いております」
サムエル記上の当初は、「主の言葉が臨むことはまれで、幻が示されることもなかった」(3:1)時代であった。罪が祭司の家(サムエル記上2章)にまで入ってきていた堕落していた時代でもあった。しかし、神は神の民に憐みをかけ、祭司・預言者としてサムエルをお立てになった。主なる神は、サムエルにその召命を与えるために、務めを与えるために、少年サムエルに4度、声をかけられた。祭司エリの助言を受け、少年サムエルは4度目に、主からの語りかけと悟り「お話しください、僕は聞いております」と応答をしたのであった。
デボーションの中で聖書を読み始める時、礼拝式や祈祷会や聖会の始めの黙祷で、メッセージや証しを準備する時、「お話しください。僕は聞いております」(3:10)とのこの言葉を思い起こし祈る。牧師であっても宣教師であっても信徒であっても、ひとりひとりのクリスチャンは主の前に献身している者である。主に招かれ、主に呼ばれ、主の前に出て、主からの語りかけを受ける時、まず「お話しください。僕は聞いております」と祈り、語られたならば、「私の思いではなく、主の御心に従います」との応答をする。主は、そういう者を通りよき管として用い、下記のみ言葉のごとく、ご自身の栄光を現わすのである。
「 サムエルは成長し、主が彼と共におられたので、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。」「主は引き続きシロでご自身を現わされた。主はみ御言葉をもって、シロでサムエルにご自身を現された。」(3:19、21)のである。