「主イエスの愛でキャッチされたクリスチャン」

 小説「翔ぶが如く」の中に、西南戦争で西郷隆盛と運命を共にした中津隊の隊長であった増田栄太郎という人物がいました。薩摩軍が敗戦し鹿児島へ向かう状況で、彼は隊の中で自分だけ、鹿児島に向かうと隊員に伝えます。その理由を彼が問われると、「吾(われ)、此処(ここ)に来り、始めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず。親愛日に加はり、去るべくもあらず、今は善も悪も生死も共にせんのみ。」と言ったそうです。「善も」はよろしいのですが、「悪も」はいただけませんね。しかし、それだけ西郷隆盛の人柄は人を引き付ける魅力があったのでしょう。

 クリスチャンは、罪と死の支配の中から、主イエスの愛でキャッチされ救われた者たちです。その愛に応え私たちが、主イエスを純粋に愛していることを、主イエスは喜ばれています。私も救われて47年、一日一日、一年一年、日が増すごとに年が増すごとに、主イエスの愛をますます深く体験し、ますます主イエスを愛する者とされています。この世の殿や王ではなく、永遠に生きておられる神の独り子救い主イエスに、永遠の仕える者とされている幸いを感謝しています。

 「事実、キリストの愛が私たちを捕えて離さないのです。」(フィリピ3:10)