手術の前日

冷静な精神になったつもりでいた私は

手術前の検査で急に怖くなってしまった。


ふとその合間にみた主治医の笑顔をみて

怖いとか不安とか思う必要はない。もう大丈夫だ。

と落ち着いたのです。


そして眠れなかったら入眠剤を処方しますよ。と言ってくれた看護師さん


入浴を細かく時間設定してくれた別の看護師さん

手術室に入る時 手をとって寄り添って歩いてくれた看護師さん


手術台に乗った時ベテラン麻酔医師の先生が私に合わせてクリスマスソングを音量を高くしてくれた(AKBかけるときもあるそうです)

『クリスマスが好きだから嬉しいです』




明るくて広くて開放的な手術室

2名の頼もしい 執刀医

麻酔医師 看護師2名

背中があったかいふわふわの手術ベッド。




もう少しですぐ眠くなりますよ。

おでこに麻酔薬をゆるくつけて朦朧として心地良くなる中、目の前で我が子の頭を撫でるように看護師にそう言われたときは

大好きな五つ星ホテルのエステルームにいるような気分だった。



『気持ちよくてお母さんの母性みたい』


これで もう大丈夫 この言葉を伝えて

自然と安堵の眠りについたのです。









目覚めたら

病室の部屋にいました。

酸素マスク・つながった点滴・膀胱につながったチューブ・痛む傷口・心電図のパッド・外したけど2時間は人工呼吸器(全身麻酔は必須)が器官に入っていた影響で声がうまく出ない 


そんな状況でも

1日中寝たきりと聞いていたけど 夜まで安心してぐっすり眠れたのです。


終始夫が よかった、大成功だと主治医が言ってるよ。と涙目になっていて安心して仕事に向かい

そばにはいつも看護師さんがいてくれて夜中までずっと声をかけてくれたのを覚えている。


23日の翌日以降は傷が痛みながらも食欲が増して、リハビリ、ウオーキングと始まった。

参考になる栄養価の高い食事はとても美味しくて体のむくみも寝たきりなのにない。水もたくさん飲めるし便秘もないのです。


夕方以降は読書も始めて、普段よりもジャーナリング(瞑想とセルフトーキング)を深めました。


そして手術の前日までは 母と兄が交互に メッセージをくれて

生前よりも 穏やかに 力強く 私を守ってくれてるのがわかった。

そして終えてからは100歳まで生きた祖母が母と兄を連れて行ってくれて、ようやく本当の別れをしたのだと それでも私たちはつながってるのだとわかります。




病院はもしかしたら 現実とそれ以外の世界と一番近い交われる場所なのかもしれない。と気づいたのです。




・・・・



同時に

休業の話をした看護師さんが 言った言葉がひびきます。



・・・・・


今の現代医療は 病気と向き合いながら日常を送れるように医療行為の提供だけでなく精神的にもサポートすることなのです。

病気が怖いことでないと知って欲しいし、病院が重い場所でないと思って欲しい。



でも葵さんのようにあえて休養することが必要ならそれでいいと思うので自分が思うようにしてください。

病気を理由にしなくていいのですよ。



・・・・・・


私は勝手に勘違いをしていました。


病気は重いもの・辛いもの・病院は長くいる場所ではない。

なんて勝手な 失礼な 価値観でいたのだろう。


看護師さんがいうことばをずっと終日考えてみて

違う看護師さんに話したら  

その看護師さんと

二人で感動しあえたことをシェアします。

(連日ジャーナリストばりにたくさん質問したり会話をたくさんの看護師さん、医師とさせていただきました)


・・・・


病院が生きるための命を助ける場所として、

辛い闘病の場所だとしても

医療従事者は生きるための助けるサポートをしている。


私は人を綺麗にする仕事をしているとしたら病院と違うように見え

私も生きる人生をより輝かせるサポートをしている。



だとしたら 【生きることを望む 人。の命】

にどちらも寄り添っているから 

生きるということをみんな望んでいるから

どちらの仕事も 同じですね。



そして
この会話をしてから
生きるということはやはり 辛くても 嬉しくても同じなのだと思えたのです。


どちらも 人が人として生まれて 

【生きていく喜びや幸せを探すというのは人の本能なのだ】と学べた1週間でした。


その喜びは

生きていることを望むこと自体が

それ自体が 幸せだということです。


たちかわる病室の患者さん 

様々な症状で医師と連日話をしています。


そこにはやはり 

家に帰りたい・生きることを望む

強いエネルギーだけを感じました。


正直 2ヶ月は検査の内容が濃厚で、とても長い時間病院にいて、検査結果も1週間待ちなど 

本当に精神を修行するような日々でした。


これほど自分の体を観察し、専門家にみてもらうことはなかったので
恐怖もたくさんありました。



なのに
これまでの人生で一番自分を大切にできている 生きているんだと実感しています。


散りゆく花びらも 生きてる




日頃 

仕事を通じて伝えてきたことが

ここで体感できてることを嬉しくおもい
また不安な私を察知して

 連日クライアント様たちに 

勇気と励ましをエネルギーでいただけました。 

心から感謝しています。

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とても前向きなお知らせです。


担当執刀医の 大学病院准教授より
とても励みとなるお言葉をいただきました。

手術をした2日後に頂いた言葉。



【大学病院では医療チームを組んでいて医師・看護師・薬剤師・検査技師・栄養士で活動しています。その一員として、

今後お仕事を依頼したい。】


勉強会への参加
准教授先生が制作した知識や技術を学ばせていただき、伝えていけることになりそうです。


なぜ私ですか?と聞きそびれてしまいましたしわたしの仕事の細かいところは伝えてないのですが

 印象的な会話がございます。


 先生 

僕が病気になった人を助ける立場としたらその原因を予防して医療に取り入れていき、病気の後も生きる希望という精神力や体力を取り戻して欲しいと願っている。 

日本はまだその辺りの分離があるから日本の医療をもっと変えていきたい。 

その研究も ずっと 20年してきました。


 私 

私ができることは、先生の専門分野を学びながら、病気予防の活動や、病気後の精神・身体のサポートをさせていただけるということですね。


 先生 

はい そうです。 お願いしますね。 


先生はご経験から

会話や私の状態(精神)から私がやってきたことを

気づいてくださってたそうです。


『葵さんは強い方ですね』


症状の告知を受けたときに言われた言葉です。


『先生お願いがあります。私は常に家族と関わる人のために生きていきたいのでベストの提案をしてください。そのためのゴールは頑張れます』


私は決して強くないですが

真実に沿い生きるとしたら強いのかもしれない。


生きる。

ということに対して

いろいろな知識やそれに基づく

治療をしたいと思った。



このような素晴らしいお話をご提案いただき 

これがタイミングなのだと思いました。

母と兄が亡くなったこと
移転を決めたこと
病気になったこと



一見ネガティブなことのように見える出来事が
必然的に このお話と今回の生きる感動の経験のためだったとしたら
改めて この経験を無駄にせず
世の中に貢献していきたい。 と強く思います。