誰かの役に立ちたいとか、
誰かのためになにかできることをするとか、


こういうことは、全部
自分自身の過去への癒しなのだということが最近わかりました。



だから、自分自信をどんどんクリアにしていくために、 誰かのために何かをやったらいい けれど、



誰かのために何かをやらなくても、
本当は、あなたがただ、【今ここに在る】それだけでこの世界へ出来ることをしていたりするのです。
(むしろそっちの方がナチュラルだったりします。)


誰かのために何かをしたい。
それさえもエゴなのだということに、去年クリスタルボウルを奏でていてふと気づきました。



目の前の人を癒したいと思いながら打つ音はキレイな波で広がらずに少しだけ歪みます。
無で打つ時だけ、波は美しく広がっていきました。



無という状態はまさに“ 今ここ ”のみに集中することであり、あらゆる次元の座標軸の重なる0のポイントに立つことなのだろうと思います。



私たちの本来の力を最大級に発揮して調和する世界とは、ひとりひとりが無であり無限∞である、“ 今ここ ”に立つときに実現するのかもしれません。


そう考えると、祈りというものも、このせかいがよくなるようにとかじゃなく、ひたすら自分自身の中心に自分を置くということなのかもしれませんね😊❤️



ということで、、、



誰かのために何かをする、役に立ちたいという思いは、どんどん表に出してやったらいいと思います。  
それがエゴだとしても、それでいいのです。
そこに意味があります。



ただ、認識しておきたいのは、
目の前の困っている人のためにやってあげているのではなく

それは、紛れもなく助けたい誰かに投影された過去の自分を救い出すことなのだろうと思います。



今の自分が目の前の誰かを救うことは、今の自分が過去の自分を救う事なのですね。