こんにちは。星野めぐみです。
末っ子長男の卒業式も無事に終わり、あと数日で社会人。全然、実感がないんですが、また彼の世界が大きく広くなるのは、私にとってもよろこびです。
仕事は楽しみだそうで、働く事が楽しいというイメージを持ってくれてよかったな~と思います。
さて、春分を境に私生活で、厄介なことが起こりました。
ネガティブな事が起こると、その事をどうにかしよう。
どうにか出来ないかと考えると思うんです。
以前の私はそうだったんです。
娘が学校に行けなかった時も、何が原因なの?
どうしたら行けるんだろうと考えたし、その為に自分に出来る精一杯で尽力してました。(ホントは私の課題だったのに当時はわからず)
でも、今は問題に対処すればするほど拗れる。
問題は大きくなる。という事を痛いほど知っています
だから相手の為に出来る事を考えることは無くなりました。
本当は困っている人も、助ける必要がある人もいない。
(この言葉の本質はまたどこかで書きますね)
誰かを助けたい時は自分が助けて欲しいときだし
誰かを癒したい時に一番癒されたいのは自分です。
実際の行動は似ていることはあるかも知れませんが、意識は常に自分に置いておく事。
これは『氣』の扱いと同じで自分に意識を置いておくことでしか動かせないものがあるからです。
誰かの不幸に共感せず、自らは幸せで在り続ける。
それだけで相手は自動的に幸せに近づく。
周囲に共鳴して自らの周波数を下げるより、周囲を共鳴させられるほどしっかりとした高い波動を保つことが、私達に出来る唯一のこと。
相手は変えられないって、自分の氣(エネルギー)は自分に置いておいてねって意味なのかも知れないなぁなんて思う近頃です。