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『・・そのときに、腹を据えて親子が話し合ったとか、夫婦が話し合ったということが、必ず出てきます。心と心の対決があるのです』
[出典:「カウンセリングを考える 上」 河合隼雄著 P67 創元社刊 ]
今回は、混乱と弱さのことについて書きたいと思います。
えっと、今年も残すところ三ヶ月になりました。
もうあとは十月、十一月、そして十二月。
ほんとうに、時が経つのは早いもので。
そんな話をしていたある夜のこと、です。
あの、我が家の娘も、気づけば十三歳になっていました。
中学一年生、です。
子どもとおとなの端境期、でしょうか。それでもまだ、何かにつけ私の名を呼んでくれます。
買ってきた物の包装が開かないとき、ですとか。自室にものをとりにいくとき、ですとか。
呼ばれるうちが花だよ、とか言いながら、です。(苦笑)
妻の呼ぶ声を待つ間、お風呂の準備のためにお部屋へ一緒にいくのも、よくあることなのです。
ひらいた扉の横、いつものところに腰かけ、
私は着る物を選ぶのを待っていました。
つい、と話しかけるのが聞こえてきます。
「あのね、○○の本に書いてあったんだけどね」
片手にしたグラスを見ながら、うん、と応えます。
「虐待を受けた子供って脳の一部が発達をやめて、お父さん、お母さん好き、ってなるんだって」
息を呑みました。
「発達って、やめられるんだね」
引き出しを押している姿が横向きにみえ、関係のない話題をはさみ、続けて言いました。
「まえ、長いものさし、あったよね。ピシ、って」
蛍光灯の電気が音をたてたように思い、やっと、私は口を開きます。
「あの、真剣な話で、僕は過去の自分の振る舞いを」
タンスのところにいても、耳を向けているのは分かりました。
「本当に、胸を咬む痛みってあるんだな、っていうくらい、悔やんでるんだ」
きっと、情けない顔をしていたのだろうと思います。
「すみま、せん、でした」
深々と頭を下げました。
こつん、下げたままの私に、おでこを重ねました。
「大丈夫だよ。虐待だって思ってないし」
視線は床にしか、あてていられませんでした。
「大丈夫かな、って心配になっただけで。発達をやめると、あたま、悪くなるんでしょう?」
「頭が良い、悪いの定義しだい、だけど」
「わたしはあたま、わるくなんてないもんね」
「ああ、わるくなんてないよ」
「そうだよね」
扉のむこう側から、呼ぶ声が聞こえました。
呼吸をするのを思い出し、横向きの顔をちらりとみます。
私はとてもいたたまれず、呼んでるよといい置き
振り返ることなく、部屋を出ました。
※次回に続きます
私の場合、のお話です。
「アダルトチルドレンは希望の言葉」
それでいいんです。大丈夫です。大丈夫じゃなくてもいいです。
「ぼくは治そうとなんかせず、ただ偶然を待っている」(河合隼雄さん)
「人格は変わる。それは世界の認知の仕方による」(齋藤学さん)