私の人生に起こることは私に最善の出来事とつながらせてくれます 。 


今私が学んでいることは 人からの承認 を求めると自分らしさを キープできないということです。 人から嫌われることを恐れては自分らしい人生を生きることができない ということです。


私は十数年 海外の田舎に暮らしているわけですが この地では 人間関係が独特だと感じました。 ここで暮らしている人の雰囲気はとても似ています 。外部の人が入ってくると 観光客 かなと すぐわかります。

目立って違った雰囲気を持っている人は こちらでは なかなか友達ができません。

それは地域の人々が この土地にそぐわない人は 同調圧力で追い出してもいいと思っている ところがあって あえて仲間に入れてあげないのです 。

 村の住民と 土地 がアイデンティティになっています ので村の秩序を守るために 同調意識を持っていない人を受け入れることはとても難しいようです。 これは切っても切り離せないものです 。

大抵 部外者は 友達が作れなかったり 地域と折り合いがつかず 5年以内に去っていきます。


私が感じていたことはなぜ私は追い出されなかったのか というものです。 1つは 過度にへりくだった態度をし 上下関係を察して長いものには巻かれろ というような 意識 を持っていたため。私は新参者 私という人を知ってもらうために 地域に同調し 平和を保ってきました また 高齢者のことを 敬い 気遣う 姿勢を 持っています。 私の主な友人は 老人でした 。私は地域にとって利益をもたらそうとしていました 。 過疎地で孤独な人が多いと聞けば 人の気持ちが 上向きになるような会話を心がけ 助けがあれば進んで手を貸してあげました。

 それはそれで良かったのです。人も喜んでいたと思います。ただ以前にも書きましたが そうやって地域に自分を合わせていることで 自分を喜ばせることは全く していませんでした そうやっているうちに 自分軸を失っていました。 

それに気づいてからは 自分の気持ちをノートに書き出して 自分の思考の癖 などに 気づき を得ることができました。 それによって私は今自分に何をしてあげるべきなのか 客観的に 自分の思考と向き合うことができました。

行動を変えること 意識的に 意思表示をしていくことで 自分の生活パターンにも変化が見られました 。 私は人が私に対してどう思っているのかを気にしすぎる傾向がありました 。

 

私は外国人であり 私のすることは他の人の目にはどう映っているのか とても気になっていたのです。 人の反応は人に属するもの 自分が 決めることができないものと理解し ある種の 諦めにも似た感情と向き合いました 。

私も他人を完全に理解し受け入れることができず 他人も私を完全に理解し受け入れる義務がない、その人次第 です。


 今では あまり 他人の言葉を気にしなくなってきました。 

私がいなくても他人の人生は回るのだということに気がついてから [私がやってあげないと誰がするんだろう] 共依存の村 の生活パターンから 脱出することを試みました。


さて 地域のお茶会 や 無償労働 や 地域の物々交換 のサークルから身を引いた時 私に何が起こったでしょう。 なんだか 急にパーソナリティが変わったと 不信感を煽ってしまいました。か と言って自分の心情を一人一人に打ち明けることもできません。


そして 私は町の人が労働している時間帯 一人で家で 過ごしているために 自分に必要なものが全部あるからって傲慢になってはいけない そんなことを友人がポロッと 私の前で 言った ことがありました 。楽をして生きている人 人の気持ちが分からない人 そのようなフィードバック がなされているのかな と個人的に感じました。 


そうやって また 他人からの評価を 頭に 思い巡らせる癖を やめます。 聖書には人を恐れると罠にかかると書かれています。


海外の田舎町での 暮らしも長くなり この経験を生かして 田舎暮らしの相談なども 承ってみようかと思います。


もしあなたが海外の田舎町での暮らしに興味があったり もしくは すでに海外の田舎に移住しており 何か私に聞いてみたいことが あったなら メッセージ欄に 相談 希望とお書きください。有料 相談サービスと連携したリンクを送らせていただきます。 またアドバイスはいらないけれど ただ聞いてほしい 田舎暮らしのあれこれ そういったことにも対応できます。


すぐには無理かもしれませんしご要望がどのぐらいあるかにもよりますが いつか海外 田舎暮らし 相談窓口になれるかもしれません。


一人で悩まなくて大丈夫ですよ。