2012年ももうすぐ終わりですね。


手術からはや2年。
抗がん剤で失った髪の毛は、治療前の長さに戻りました。
ホルモン治療は地味にきついですが、副作用とつきあいつつ暮らしています。


タモキシフェン服用が2年間になる来年8月には、
新しい治療方針を決める予定です。乳房再建は完成間近です。




今年は、ずっと行きたかった東北に行くことができました。
現地の役所や教育関係の方々からのお話を聞く機会にも恵まれました。
子供たちの未来を第一に、苦難の中でも前向きに公務に取り組む方々の姿に心を動かされました。


夢中でお話を聞きながら、病気になる前にはなかったような感情を覚えていました。
何故だろうと考えていましたが、思い当たることがあります。
それは、私たちは種類は違うけれど痛みを知るものたちだ、ということです。


昨年、誰かを励ませる人になることを来年の目標にしたいと書きました。
でも、実際は励ますことはおこがましいと感じて言葉が出ない事が多かったです。


ほんとうは被災地の方々の痛みがわからない。
再発した人の気持ちがわからない。
病気になった人の家族の思いがわからない。


わかりたいけれど、自分が痛みを知っているだけに、本当のところはわからないと認めざるを得ない。
でも気持ちにより添いたいのだけど…と考えすぎで何もできず、おろおろしたり、泣くばかりでした。
さらに、自分の痛みに向き合うのが怖くて、忙しくして自分の問題を無視しようとしたりもする始末。




久しぶりに聖句をとりあげてみます。


『この人がうまれつき目が見えないのは、だれのせいですか。この人ですか。その両親ですか。』
『この人が悪いのではなく、両親でもありません。大きな存在の愛がこの人を通して現われるためです。』

(聖書:ヨハネ9:1-5 かなり意訳です)
『互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』
(ヨハネ13:34)


わたしはこれを、次のように理解しました。


『わたしが乳がんになったのは、誰が悪いのでもない。
 かえって病気の体験を通して、痛みを知るものとして、お互いに愛を送れる人に変えられているんだ。』


ちょっと考えすぎだって自分でも思います。カッコつけてポジティブぶってる面もあることも否めません。そして、これから不測の事態が起こったりひどい副作用が出た時に、同じことを言えるかどうかもわかりません。また自己中な私は、身近な人さえも正しく愛せているかどうか疑問です。


でも、痛みを知るものは、愛を知るものでもあると思います。


1人で立てない時も、大きな存在の愛を感じ、時には仲間に甘え、泣いたり笑ったりしながら、
無事を祈りあって、そして、これからも周囲の人たちと一緒に歩いていきたいと思います。


私たちは、痛みを知るものたちだと胸を張って、日々をいとおしみつつ。




今年お話できた同病の皆さんと、来年も笑顔でお会いできたらいいなと思います。
2013年が、皆さまにとって素晴らしい年になりますように
ニコニコ