ほんとうに | 税理士試験に挑戦中

税理士試験に挑戦中

ブログを再開させていただきました

 

おはようございます。

 

 

 

 

※とっても長いですので、スルーくださいませ。

 

*****

 

過去問に

 

 

 

 

 

 

引き続き 取り組んでみました。

 

 

 

こんな感じでした。

 

 

 

まだ教わっていないとはいえ、

力不足だな、、と実感しました。

 

 

 

 

一方で、

 

 

今回の論点に限らず

 

 

ある論点を学ぶ時には

フレーズ的に身につけるのではなくて

内容本位に理解することが大事なの

ですね、、

 

と改めて感じました。

 

 

 

というのは、

今回、回答範囲が いろいろと部分的で、

限定されていたからです。

 

 

 

なので、

 

論点を細かく切り刻むということ

ではなくて、

 

 

部分、部分の関係性や

共通している点、異なっている点

 

 

に 特に着目しながら

各論点を学んでいきたいな、、

 

と思いました。

 

 

 

 

そして、

その上で、

 

論点を学ぶ際には

 

 

「結論は何か」

 

ということを まず おさえることが 

なるほど大事なのですね、、

と感じているところです。

 

 

 

そうすれば、

 

 

法全体を俯瞰するのに役に立つし、

 

各論点間の関係性を大きく捉えるの

にも役に立つし、

 

 

論点内で内容が 込み入ってきた時に

「道に迷わない」、「どこに いるのか

見失わないようにする」ためにも

役に立つし、

 

 

論点の中に 細かな論点が いろいろと

ある場合に、結論との「距離」がわかれば、

「何が幹で、何が枝なのか」を

見極めるためにも役に立つかな、

 

などと思われるからです、

 

 

 

こうしたことを念頭に置きながら

引き続き 学んでいきたいな、、

 

と思います!

 

 

 

 

 

 

***^***

 

 

 

話しは変わって

 

 

 

 

 

 

 

不思議な、、

 

 

 

 

というか

 

そうか、、そうなんですね、、 

ということ がありました。

 

 

 

 

 

今、

 

こころを いつもより つかうことに 

取り組んでいるのですが、

 

 

 

ふと、

 

「ここで、ちょっと ひと息 

入れようかな、、」

 

と 思った時が ありました。

 

 

 

 

そうしたら、、

 

 

 

 

 

あっ、、

 

という間に

 

 

 

意識がなくなるというか

落ちていて、

 

 

気がついた時には

 

「えっ、、もうこんな時間?!」

 

 

ということに なっていました。

 

 

 

 

 

びっくりしたのは、

 

そう思った途端 それ以降の記憶が

とんでいたことです。

 

 

そして、そのあとも、

そこまでは いかずとも

気がついたら そんな風に寝入っていた、、

 

 

ということが続きました。

 

 

++

 

 

 

かといって

 

体調がわるかったから そうなった

ということ ではないです。

 

 

 

よくテレビなどで、

 

ちょっと ひと息という風になった

途端に倒れるシーンを目にすること

がありますが

 

 

 

あれは、大げさということでは 

ないんだな、、

 

と、そうした時の状況が少しわかった

ような気がしました。

 

 

 

 

とともに

 

 

そんなに くたくたになるまで

だったのか、、

 

と なんだか うれしい心地に

なりました。

 

  

 

::::::::

 

 

 

一方で、

 

 

 

 

 

 

そうかと思えば

 

 

 

 

自分の身体の動きに

打ちのめされる ことも

ありました。

 

 

 

打ちのめされた という意味では

この病気に関して これまでで

一番大きな出来事かもしれません。

 

 

 

 

時が経っても

ほほに こころに なみだが 

ながれ続けていました。

 

 

 

 

 

 

というのも

 

 

思ったように、

意図していたように

手が動いてくれなくて

 

 

 

 

「えっ、、、どうして、

こんなことに、、

 

今 言いたいこととして

思っていることと 全然ちがう

じゃないか、、、、」

 

という風になることが ありました。

 

 

 

++

 

 

 

 

私の身体は、

 

少しずつ 少しずつ

手や足や口、そのほか

血管以外の全ての動きが遅くなります。

 

 

そして

遅くなるだけではなくて

「正確に」動かせなくなります。

 

 

 

 

端的にいうと

 

 

ねらいが外れるというか、

 

思っていなかったところに

いってしまう、、

 

ということで、

 

 

 

足や口にも この症状は 出るのですが、

とりわけ 手の動きに よく出てきます。

 

 

 

つい、この間までは

電卓のキーボードの ねらいを

外すことが しょっちゅう ありました。

 

 

具体的には

 

「4」を押したいのに

  実際に押したのは「1」だったり、

「−」を押したいのに

  押したのは「+」だったり、

 

といったことです。

 

 

 

 

そして

同じことは電卓以外にも

パソコン、スマホ、自動販売機、、

 

など指を使うものは全部です。

 

 

 

たとえば、

 

 

 

十分に話せなくなった

書けなくなった亜也さんにとって

 

五十音の文字盤は

大事なコミュニケーションの手段

でした。

 

 

 

でも、

それでさえ

亜也さんは難儀をしていました。

 

 

 

なぜかというと、

ねらいを外してしまうからです。

 

 

文字盤の「あ」を指さしたいのに

実際に指しているのは「か」だったり

 

「な」を指さしたいのに

実際に指しているのは「ま」だったり、、

 

 

だからこそ、

ゆっくり ゆっくり

文字盤に指を運んでいって 

文字の近くに きたら

さらにスピードを落として、

 

ねらいを外さないように

気をつけながら 文字に指を着地させます。

 

 

 

でも、、

 

それでも、、

 

 

ねらいを外すことは 度々だったこと

と思います。

 

 

 

++

 

 

 

まだ、そこまで私の症状は進んで

いませんが、

 

それでも 同じようなことが私にも

起きています。

 

 

 

 

実は、

 

亜也さんの そうした様子を見て

私は

「たいへんな苦労を されて 

いるのだな、、」

 

と思っていましたが、

今は ちがいます。

 

 

 

今は、

それは とっても

 

びっくりすることで、

唖然、呆然、茫然とすることで

悲しくて、哀しくて

かなしいことだと わかりました。

 

くやしい、

歯がゆいことだと わかりました。

 

 

++

 

 

こうした手のことだけではなくて、

 

 

どんなことにもTPOというか

ふさわしい時や場所、状況などが

あると思っています。

 

 

足の動きでさえ、

たとえば電車から降りる時

前に一歩踏み出すタイミングで

重心が後ろにいってしまって

その一歩が出ず、他の方と交錯して

しまったり、

 

もっとシビアなのは

自動改札機で定期をタッチさせる

ことだったり、

 

 

ふさわしい時、TPOに かなっていないと

それ自体いいことでも 活きてこないと

感じています。

 

活きてこないどころか、マイナスに

もなると思っています。

 

 

 

今の自動改札機の例で いえば

タッチするのは よいことでも

それは センサーの上にでないと

意味がないし、

 

 

センサーの上にタイミングよく

タッチできないことは 迷惑にも

なります。

 

 

 

++

 

 

 

僕は、

 

 

それが自分の中だけのことで

あるなら、あんまり気にしません。

 

 

 

 

もちろん、

 

先ほどのような思いを

感じはしますが、

 

まあ、それは自分の中での問題です。

 

 

 

 

でも、、

 

自分以外のことに なると別問題です。

迷惑をかけたくないです。

 

 

 

でも

それなのに

そうなってしまうと、

 

先ほどの思いに加えて

 

 

 

「なんてことを自分は して

しまったのか、、」

 

というい思いに打ちのめされます。

 

 

 

やりきれなさに、自分のこと以上に

なみだがこぼれます。

 

 

 

 

 

そういえば

 

 

亜也さんは 自分以外に 迷惑をかけて 

しまう結果になった時に より つらい

表情を みせていました。

 

 

 

ようやく、

僕にも そのことが今回よく わかりました。

 

 

+++

 

 

 

 

もちろん、

 

 

 

そうしたことはお互いさま だから、

ということは あるかと思います。

 

 

 

でも、、

 

僕にとって きついと思ったのは

 

 

 

それが たまたまではなくて、

 

 

形や ことがらは 変わるとしても

これから先にも起こるし、

 

更に もっと その程度は進む、、

 

 

からです。

 

 

 

 

 

このことにも 打ちのめされる思いを

感じました。

 

 

 

 

 

初めて

 

自分の手を うらめしく感じました。

 

 

 

そして、初めて

自分の手を動かすのが 

こわくなりました。

 

 

 

 

たとえ、意図していたことでない

としても、

 

 

 

 

手を動かしたこと、

 

 

そして

その結果、ねらいを外したという

ことは 現実の出来事。

 

 

その後で、それを補おうとも

事実は事実。

 

 

 

 

でも、、

 

自分でも そうしたことが 

いつ、どんなタイミングで

どんなことに ついて起こるのか

わからないから、防ぐことはできない。。

 

 

 

もちろん、細心の注意を払うにしても 

「それでもできないことがある」

というのが この病気だから。。

 

 

 

 

 

なので、初めて

手を動かすのが こわくなりました。

 

 

この手が 

自分が望んでいないことをしてしまう、、

しかも それが いつで 何についてなのか、、

 

 

起こってから でないとわからない。。

 

 

 

 

 

 

 

「哀しいな、、」

 

 

と思いました。

 

 

 

 

「この手をどうしようかな、、」

 

 

と思いました。

 

 

 

 

 

:::::::

 

 

 

 

しばらく

 

 

 

考えていました。

 

 

 

 

 

 

そうして、

 

 

先ほど

こんな風に思いました。

 

 

########

 

 

 

 

 

『確かに

 

きついことだし、

 

 

ましてや迷惑を かけることは

身を切られるように つらいこと

だよね。。

 

 

 

そんなことなら

いっそうのこと手を動かさなければ

しくじることはないのだから

 

その方いい、、

 

 

 

というのは

 

この病気をかかえたキミには

確かに ぴったりなのかもしれない。。

 

 

 

 

 

でも、、

 

 

残念だけれど

 

歯がゆい かもしれないけれど

 

かなしい かもしれないけれど

 

 

 

それが、、

 

 

 

 

そうやって しくじるのが

 

この病気を抱えた

キミという人なのだから。

 

 

だから、

それが きみにとっての真実なの

だよね。

 

 

 

 

 

なら、、

 

だったら、、

 

 

 

それを、、

 

 

そんな自分を認めてあげようよ。

 

 

だって、それがキミ自身なのだから。

 

 

 

 

それに、

 

 

今後さらに手の動きが

わるくなっていくとしても、

キミには まだしたいことが 

あるのだろう?

 

 

たとえ そんな動きであっても

そんな手を動かして

こころから したいことが

まだまだ たくさん たくさん

あるのだろう?

 

 

 

 

 

だったら、、

 

 

 

 

そこにこそ目を向けようよ。

なみだは 腕でねぐって

 

キミのしたい ことに懸命になろうよ。

 

 

 

 

自分にできる範囲で 精一杯

がんばってみようよ。

 

 

 

 

失敗するのを こわがらないで

手を動かしてみようよ。

 

 

 

 

 

しくじるのは 確かに しんどいこと。

 

 

 

 

だけど、

 

 

 

 

キミにとっての 「小さな勇気」を

使うのは、

 

 

 

こんな風に

 

いつ失敗するかも わからない、

 

 

そして

失敗したときの怖さを しみじみと

感じている

 

 

「今」なんじゃないのかな。

 

 

 

 

 

たくさん たくさんしたいことが

キミには あるのだろう?

 

だったら、しくじりを恐れずに

懸命に かつ 慎重に 手を動かして

みてごらんよ。

 

 

 

 

 

ね。

 

 

 

 

 

 

+++

 

 

そして、

 

 

 

 

そんな風に 顔を上げようとするキミに

こんな言葉を贈りたいな。

 

 

 

=====

 

PKを外すことができるのは、

PKを蹴る勇気を持った者だけだ。

(ロベルト  バッジョ)

 

=====

 

 

 

 

 

そして、

 

精一杯がんばって

 

 

気をつけて、

 

 

だけど、

それでも しくじって

しまったのなら、、

 

 

 

その時は、

 

『ほんとうに ごめんなさい』

 

と こころの底から はなすことに

しようよ。

 

 

 

 

 

 

 

さぁ、

 

おぼつかない手の動きに

にっこり しつつ

 

 

いざ、がんばれ!』

 

 

 

 

 

 

 

・・・と、こんな風に思いました。

 

 

 

 

 

:::::::::

 

 

 

(ちょっと話しは変わって)

 

 

 

 

でも、、

 

 

 

でもね、、

 

 

 

さっき書いたような状況にあった

わけですが、

 

 

 

 

 

一方で、

 

 

 

 

願いに、

 

 

 

 

 

静かに しずかに

願いに こころを あつめていた時

には、

 

 

 

 

なんというか、

 

 

燦然と輝く光のなかで

満ち足りていました。 

 

 

 

 

思わず

スキップしたくなるような、

 

 

思わず にっこりして

ほっぺの筋肉が いたくなる

ような感じが していました、

いたくなっていました。

 

 

 

 

たぶん、、

 

 

その よろこばしさに

また、

Whitneyの国家斉唱のような

はずむような 美しさの放つ輝き

 

に ひたっていたからかな、、

 

 

という風に思います。

 

 

 

 

 

もちろん、

 

 

たとえ そうであっても

途中とちゅうには

 

たいへんなことや

しんどいことが たくさん

入ってくるのかな、、

と思っています。

 

 

 

 

でも、、

 

 

 

そうした困難は

むしろ

 

 

その時々に 訪れてくれる

よろこばしさ を

一層引き立ててくれるもの、

 

花を添えてくれるもの

では ないのかな、、

 

と感じています。

 

 

 

 

「あ、、今、しんどいな、、

 

 

・・ということは

 

よろこばしいことが

近づいているってことかな~♪」

 

 

 

っていう風になるのかな、

と思っています。

 

 

 

 

 

+++++++

 

 

 

 

 

よろこばしさの放つ光に

照らされつつ

 

1日いちにち

自分なりに

力を こころを尽くしていく

ことが どうかできますように

思います 願います。

 

 

 

 

 

 

感謝のうちに