


解凍後の2枚のアルバムでは、昔からのファンが期待する角松サウンドを打ち出したが、角松自身は「ファンはこういう歌が好きなんだよね」と冷めていたらしい。優れたミュージシャンによる本物の演奏を記録すること、そしてゴツゴツとした手触りの心に突き刺さる曲を作ること。そんな想いを初めて形にしたのが2000年に発表したアルバム「存在の証明」(写真1)である。
16ビート+メジャーセブンスのサウンドは影を潜め、代わりに幾分歪んだ音色のファンクロックで、攻撃的な角松節が復活した。ガッドやヴィニー・カリウタのドラムに、サンボーンのサックスという外国勢の参加を大声で宣伝するでもなく、8ビートでアコギをジャカジャカかき鳴らす角松は、ライブMCでファンに突きつける「ついてこれる奴だけついてこい!」。
昔の曲を昔のアレンジで再現なんかしない、それどころか昔の曲を否定するMCに、昔からのファンは賛否両論。 アルバムのセールスも今イチ。(ま、昔の曲の権利は、前の事務所に押さえられているという台所事情もあるのだけれど。)そんなアゲインストの中で打ち出した次なる一手は、さらにファンを混乱させるアルバムであった。2003年に発表した問題作「Incarnatio(インカナティオ)」(写真2)である。沖縄音楽とアイヌ音楽と日本各地の神楽をファンクロックと融合するという前代未聞の試み。凍結前から沖縄音楽へのアプローチはあったが、それは沖縄のエッセンスをNYサウンドで料理するとどうなるかという実験的な要素が強かった。解凍後の「Time Tunnel」に収められた「風のあやぐ」では下地暁が歌う宮古言葉とのデュエットなども聞かせたが、そんな雰囲気をちょっと借りるというレベルではない。アイヌの古楽器トンコリのシーケンスと沖縄的な合唱に加えて、和太鼓や雅楽器と沼澤尚の跳ねるリズムが重層なるグルーブを醸し出す。歌詞も随所に日本古来の神の存在を感じさせるような言霊をちりばめてみるが、曲の基本リズムはレゲエであったり、ファンクであったり、プログレであったり。前作以上にセールスは伸びず、ネットには否定的な意見が飛び交う有り様。以後、「アンチ沖縄派」のファンを生み出す。
賛否両論なアルバム2枚ではあったが、根底には「本物のミュージシャンの本物の演奏」というコンセプトが共通している。アルバムで演奏したミュージシャンをライブでも起用する、正確にはライブができるミュージシャンをアルバムで起用する方針が徹底しはじめるのはこのころからである。アルバム「Summer4Rhythm(サマーフォーリズム)」では、青木、沼澤、浅野、小林という4リズムのミュージシャンシップを見せつけ、さらに次のアルバム「Fankacoustics(ファンカコウスティクス)」では2枚組のそれぞれに別のユニット(Solid:沼澤、松原秀樹、浅野、小林、Elastic:田中、青木、友成、梶原)を設定し、ファンク&アコースティックな両側面を展開した。さらに2005年の「Past&Then」では友成+小林に森俊之を加えた鍵盤3人ドラム・ベースレスのユニットTripod(トライポッド)を構築。こうしたミュージシャンの底力を見せつけるようなコンセプトのアルバムを次々と発表している。そして昨年発表したアルバム「Prayer」(写真3)では、スティーブ・ガッド+アンソニー・ジャクソンのNYチームと江口+松原の東京チームの2つのリズム隊を設定。森俊之に加えて名ギタリスト今剛が全面的に参加する上に、さらに気鋭の沖縄ミュージシャン(千秋・凡子・下地勇・新良幸人)を起用するなど、現在の路線に否定的な、昔の角松至上主義のファン感情を逆なでるような強硬な姿勢を貫いているのは実に清々しい(笑)。これが今の角松なんだ。
今年は昨年に引き続き「Player’s Prayer Returns」と銘打ったツアーを展開。来年3月まで各地で、様々な形態のライブを行う予定である。(了)