東海地震の30年確率88%に上昇

南海は10年20%程度に 政府の調査委員会


産経新聞 1月11日(水)19時38分配信


 政府の地震調査委員会は11日、国内の主な地震の発生確率を更新し、1日現在の数値を公表した。1年前と比べて東海地震は30年以内の発生確率が1ポイント増の88%に、南海地震は10年以内の発生確率が従来の「10~20%」から20%程度に、それぞれ上昇した。

 東南海地震の30年以内の確率は70%程度で従来と同じ。南海地震も30年以内は60%程度で変わらない。千島海溝沿いの地震の30年以内の確率は、十勝沖が「0・3~2%」から「0・5~3%」、根室沖が「40~50%」から50%程度、択捉島沖が60%程度から「60~70%」に上がった。

 阿部勝征委員長は会見で「確率が高くてもすぐ起こらない場合もあるし、低くてもすぐ起こることも多々ある。一喜一憂せず、地震が起きてないときこそ防災について考えることが大事だ」と話した。

独立行政法人 防災科学技術研究所からの発表(PDF)

http://www.bosai.go.jp/press/2011/pdf/20111031_01.pdf



GraBlog-111102千葉スロースリップ



スロースリップ:千葉・房総沖でプレート滑り 「群発地震誘発も」

毎日新聞 2011年11月1日 東京朝刊

 防災科学技術研究所(茨城県つくば市)は31日、千葉県の房総半島沖で、フィリピン海プレート(岩板)と陸側プレートの境界面がゆっくり滑り(スロースリップ)を起こしていると発表した。広瀬仁主任研究員は「群発地震の誘発も考えられる」と説明している。

 この場所のスロースリップは約30年間観測が続いており、前回までの5回は平均6年間隔で起こっていた。今回は07年8月以来4年2カ月ぶりで、間隔は過去最小。東日本大震災の影響で早まった可能性もあるという。07年には、スロースリップに誘発されたとみられる群発地震が房総半島周辺で発生した。

 防災科研が全国に整備した、高感度地震観測網のうち、房総半島6地点のデータを分析。最大の動きは、10月26~30日の5日間に深さ約20キロで約6センチ滑ったと推定した。【安味伸一】



大震災で間隔短縮か―4年前は群発も・防災科研と地理院
時事通信 10月31日(月)23時38分配信

 防災科学技術研究所(茨城県つくば市)と国土地理院(同)は31日、房総半島(千葉県)沖で26日ごろから、体に感じないが、プレート境界がゆっくり滑る「スロー地震(スリップ)」が観測されたと発表した。前回起きた2007年8月から4年2カ月後に当たり、発生間隔が従来の4年10カ月~7年7カ月より短いため、大震災の影響が考えられるという。
 発生場所は、関東以北の陸側プレートと日本列島南方のフィリピン海プレートとの境界で、東日本大震災の巨大地震が起きた太平洋プレートとの境界とは違う。
 しかし、防災科研によると、スロー地震により、プレート境界が固着している部分にひずみがさらに蓄積され、将来地震が発生した場合、規模拡大につながる恐れがある。前回のスロー地震発生期には、最大震度5弱の群発地震が誘発されて起きた。




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「千年に一度の巨大地震の世紀」

首都圏直下型や3連動型の可能性も


産経新聞 8月3日(水)3時15分配信

 東日本大震災規模とされる平安時代の貞観(じょうがん)地震(869年)や関東直下型地震、東海・東南海・南海地震の3連動とみられる仁和(にんな)地震など9世紀に起きた地震が、阪神大震災(平成7年)以降の地震の状況と酷似していることが、産業技術総合研究所の寒川(さんがわ)旭(あきら)・招聘(しょうへい)研究員(地震考古学)の分析でわかった。近い将来に首都圏直下型や3連動型地震が起きる可能性が高いとの見解を示し、「千年に一度の巨大地震の世紀になるかもしれない」と警鐘を鳴らす。

 寒川氏は、古代以降の文献史料とともに、各地の遺跡で発掘された地割れや液状化現象による噴砂などの地震痕跡を調査。9世紀前半に関東北部や東北などでマグニチュード(M)7前後の地震が相次いだ後、貞観地震が発生していることを確認した。

 貞観地震は当時の歴史書「日本三代実録」に、「海は猛(たけ)り吼(ほ)え、津波が怒濤(どとう)のように多賀城下に押し寄せ、千人がおぼれ死んだ」と記述。当時の海岸から約5キロ内陸の多賀城跡(宮城県多賀城市)周辺では道路が寸断された跡が見つかり、仙台市などでは津波で運ばれた堆積物もあった。

 878年には関東南部でM7以上の直下型地震が発生。887年の仁和地震では、日本三代実録に「都(京都)の建物は倒壊し、圧死する者多数。海岸には海潮(津波)が押し寄せ、無数の人がおぼれ死んだ。大阪湾岸も津波被害が甚大だった」と記録。東海から四国にかけて甚大な被害があったという。

 寒川氏の分析によると、最近数十年間に秋田などで死者100人以上を出した日本海中部地震(昭和58年、M7・7)や阪神大震災(M7・3)、新潟県中越沖地震(平成19年、M6・8)など各地でM7前後の地震があり、その後東日本大震災が発生した点が、平安時代の状況と共通していると指摘した。

 首都圏直下型地震や東海・東南海・南海地震について寒川氏は、いずれもフィリピン海プレートの影響下にあり関連が深く、過去の首都圏直下型や仁和地震に匹敵する3連動型地震が発生する可能性が高いとした。

 また、6月30日に長野県中部で起きた震度5強の地震は、千年あまり活動がなかった牛伏寺(ごふくじ)断層付近で発生。7月5日にも和歌山県北部で震度5強の地震があったことからも日本列島が活動期にあることが改めて浮き彫りになった。

 一方、古代以降、M8・2程度の元禄関東地震(1703年)や3連動型の宝永地震(1707年)があった「18世紀初め」、安政東海地震(1854年)や、高さ9メートルの津波が襲ったという翌日の安政南海地震、死者1万人といわれる安政江戸地震(1855年)が起きた「幕末」にも巨大地震が集中したが、三陸沖では東日本大震災に匹敵する地震はなかった。

 寒川氏は「東日本大震災では『想定外』という言葉がしばしば使われたが、文献史料には過去の巨大地震が詳しく記されており、決して想定外ではない」と話した。

 古村孝志・東大地震研究所教授(地震学)の話「これまで、江戸時代以前のデータは不確かさがあるということで防災対策などでもあまり注目されなかったが、今回を教訓に文献史料などを見直さないといけない。東日本大震災後の余震は以前より落ち着いてきたが、陸のプレート深部はまだ動いており、バランスをとるために再び大地震が発生する可能性が高く、対策が急がれる」

 ■科学は「解明途上」周知を

 7月27日に東京・元赤坂の明治記念館で開かれた「第25回独創性を拓く 先端技術大賞」(主催・フジサンケイビジネスアイ)の授賞式で、東京大学地震研究所広報アウトリーチ室助教の大木聖子氏が記念講演を行った。大木氏は多くの犠牲者を出した東日本大震災について、「地震学者は、地震の科学の無力さを徹底的に見せつけられた」と、科学の側が受けた衝撃の大きさを認めた上で、「『わかっていること』だけでなく、『わかっていないこと』をも含めて、いかに人々にものごとを伝えるかが重要になってくる」と述べ、震災を機に科学技術のあり方や役割も厳しく問い直されていくとの見方を示した。



 私は東大地震研究所の広報アウトリーチ室で研究をしている。アウトリーチというのは、研究者が直接市民に研究成果を伝え科学や技術に親しみを感じてもらう、外部からの需要を研究の現場にフィードバックするといった活動を指す。

 最近では天文学や生物学、化学など多くの分野でアウトリーチ専任の教員が配置され、科学技術基本計画でも「科学技術コミュニケーション」という用語によって、推進がうたわれている。地震学のアウトリーチは地震や津波のメカニズムを伝えるだけでなく、地震により引き起こされる現象への適切な備えといった防災の観点も含まれる。

 東日本大震災は数多くの犠牲者を出したが、そのうち90%以上は津波によるものと発表された。あの日、テレビに映し出された津波が町を襲う惨状を見て、私は本当に言葉を失った。


 ◆地震学者の衝撃

 今回、地震学者は地震の科学の無力さを徹底的に見せつけられた。

 現在の地震学では地震がいつ起きるのかを予測することはまず不可能だ。「いつ」だけでなく「どこで」「どのくらいの大きさになるか」といったあいまいな予測すら、過去に起きた地震の事例に頼っている。この地域ではおよそ100年周期で地震が起きている、というレベルの予測を、たった2つか3つの事例から出す。そして、われわれの持つ知見ではM(マグニチュード)9.0の地震が日本で起きたことは確認されていなかった。

 そもそも科学・技術に関する学問は、仮説を立て実験などで検証することで事実を積み上げていく。でも、地震学では実験ができない。シミュレーションで何通りもの予測を立てたとしても、本物の地震が起きないと証明すらできない。しかも大きな地震ほど頻度が少なく、ときには数万年に1度という低頻度になるという問題を常にはらんでいる。これまでの地震の科学は、あまりにも物理や数学に偏っていた。あるいはスーパーコンピューターに頼っていた。地震学の知見を本当に防災に生かすのであれば、古代の地震を記録した古文書を分析する歴史学や、大地に残された歴史を調査している地質学との連携を進めるべきだった。

 科学の世界のごく当たり前のおきて、すなわち仮説を立て実験で証明されるまでは正解がわからないということを、私たちは今回ようやく理解した。

 M9.0の地震が起きるという事実は、これまで知られていなかった。あるいは証明されていなかった。ただそれだけの理由で多大な人命が奪われ、さらには原子力発電所の事故に至るような事態になってしまった。

 何をどう償っていいかわからない。失われたあまりに大きな犠牲に対し、(科学者として)今も申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 ◆避難行動の抑制

 震災発生から3週間後、岩手県宮古市に現地調査に行った。宮古市は歴史的に、何度も津波の被害に遭っている。市内には閉伊川という川が流れ、市街地は高さ8メートルの堤防によって守られている。

 調査の際、市役所5階から撮ったという震災時の映像を見た。津波によって増水した川から今にもあふれそうになっている恐ろしい黒い水がはっきりと見て取れた。あふれる前は堤防が町を守っている。しかし、この堤防は凶暴な津波の目隠しにもなってしまった。

 透明な堤防を造る技術があれば、どれほどの人を助けることができただろう。あの映像を見て、そう考えることしかできなかった。透明な堤防を造る技術がないならば、私たちは何をすべきなのか。

 科学や技術への信頼によって、かえって被害が拡大した事例はいくつかある。たとえば、今回の東日本大震災の場合、津波の予測高さの第一報は、現実に襲ってきた津波に比べてかなり小さな値となっていた。

 あの日、気象庁は岩手県に3メートルの大津波警報を出したが、実際に襲ってきたのは10メートルを超える津波だった。「うちには8メートルの堤防があるし、3メートルの予測だったから大丈夫だと思った」。調査に行った宮古市で人々はそう口にしていた。

 3メートルの津波と聞いて、自宅2階に避難し、そのまま津波にのまれてしまった人もいる。科学の世界からの情報を信じた結果、かえって人々を危険な目にあわせてしまったということを本当に申し訳なく思っている。

 私は子供のころから、科学者という言葉に強いあこがれを持っていた。科学はさまざまな不可思議を解き明かし、解決方策を与えてくれる。先人たちの営んできた科学によって、われわれは物事の背景にある法則を知り、その知見を応用した技術によって暮らしを豊かにしてきた。

 しかし、科学を営むこと自体は未解明の事象に取り組み続ける行為であり、本来、科学的といえば解明途上だと認識されるべきだ。

 これを伝えてこなかったこと、科学技術はすごいという印象ばかりを与えてきたことが、今回の震災で被害を拡大した、と私自身はとらえている。

 ◆過剰な期待と誤解

 1995年の阪神・淡路大震災後、われわれは社会へのより具体的な貢献を約束し、「地震発生の長期評価」を公表することにした。地震が「いつ」発生するかを予測するのはほとんど不可能だが、「どこで」「どのくらいの大きさ」の地震となるかは、過去の例を調べることで、ある程度可能になる。こうした考えのもとに、今後30年間での地震の発生確率である長期評価が文部科学省から公表されるようになった。

 地震学の歴史の浅さや地震の発生周期から考えても、ここで得られるのは一定の「目安」だ。それでも目安があれば、どの地域の、どういった対策を急ぐべきか見えてくるだろうし、目安に基づいてハザードマップを策定することもできるだろう。ところが、実際に起きたのはM9.0という、われわれの想定をはるかに上回った超巨大地震だった。

 科学の世界から提示された「目安」は、社会に出ると「科学的根拠」と名を変える。そこには科学や技術に対する過剰なまでの期待、あるいは誤解とすら呼べるものがある。しかし、それ以上に地震学者がプレート境界で起きる地震については大体は理解できたと思い込んでしまったように、科学や技術に携わる者にもそうした過信やおごりがあったのではないだろうか。

 科学の世界でわかったいくつかは技術の力を経て、われわれの生活に生かされている。しかし、科学の世界でわかっていることは広大な真理のほんの一部であり、わかっていないことが大部分を占める。

 それが、ある時、陰の側面として私たちの生活に迫ってくることもある。この陰の側面を伝えることのほうが、光の側面を伝えることよりはるかに重要であることを、私はようやく理解した。

 ◆選択眼問われる時代

 これからは、陰の側面を知ったうえで人々がどちらを選ぶかが問われる時代がくるだろう。よりよい選択を助ける役割の一端として、すでに科学技術コミュニケーションというアウトリーチ活動が始まっている。欧米諸国がアウトリーチ活動に国をあげて力を入れてきたのは、これが民主主義社会における個人のよりよい意思決定の助長、ひいては世界における国家の位置づけにも寄与すると考えているためだ。自然災害の多い日本では命を守り伝えていく知恵にもなると思っている。

 科学の一側面ばかりを強調してきた結果、震災に打ちのめされたこの現状を重く受け止め、徹底的な反省の後に、正しい一歩を踏み出したいと強く願っている。


【プロフィル】大木聖子

 おおき・さとこ 北大理学部卒。阪神・淡路大震災を機に地震学者を志し、2006年東大大学院で博士号(理学)を取得。08年4月から 東大地震研究所広報アウトリーチ室助教として、アウトリーチ活動(広報活動や防災教育、科学コミュニケーション)などを担当。