「今日は公園で自由遊びです」
この言葉に、どれだけの「意図」が隠されているでしょうか??
子どもにとって、外遊びは五感を刺激し、運動機能を高め、社会性を学ぶ最高の実践の場です。
しかし、療育のプロフェッショナルとして私たちが忘れてはならないのは、「意図のない自由遊びは、単なる時間の経過になってしまいかねない」という視点です。
なぜ「意図」が必要なのか。
そこについてはよくよく考える必要があります。
まず、環境設定という名の「無言の支援」があります。
療育における自由遊びは、公園に着く前から始まっています。
支援者は、対象となる子供の特性に合わせて環境を「読み解き」ます。
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「感覚過敏のあるA君は、公園のものをどう扱うか?」
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「衝動性」が気になるあの子には、まず安全に公園に到着するまでを伝えよう。
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「力加減が苦手なB君には、あえて重さのある遊具がある場所を選ぼう」
このように、「どの環境で、どんな刺激に出会わせるか」という意図を持って場所を選ぶこと自体が、すでに重要な療育的介入なのです。
観察が生む「足場かけ」
自由遊び中、支援者はただ見守っているだけではありません。
子供の行動を常にアセスメントしています。
例えば、滑り台の順番待ちができずにすぐに割り込んでしまう児童。
すぐにできないと癇癪を起こしてしまう。
単純に「順番守ろうね」という声掛けで終わらずに、
その子が「なぜ待てないのか」を療育的視点で詳細に分析していく必要があります。
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「見通しが立たないからか?(視覚的支援の意図)」
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目の前に並んでいる児童が見えていないのか?
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他者との関係性についての社会性が育っていないのか?
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「体の軸がぶれていて立って待っているのが辛いのか?(粗大運動支援の意図)」
支援者の「意図」というフィルターを通すことで、一見ただのトラブルも、その子の課題を解決するための「絶好の学びの機会」へと変わるのです。
「あえて何もしない」意図
支援者の「意図」とは常に指示を出すことではありません。
「自分で遊びを選び取った場合は、どういう行動を取るか?」という意図を持って、観察に注力しあえて介入を控える。
これもまた高度な療育です。
支援者が介入のタイミングを計り、「自分で行き詰まりを突破した」という成功体験をデザインすること。
これこそが、自由遊びを「実り豊かな療育」にする鍵となります。
遊びと療育の境界線
自由遊びを「ただの遊び」に終わらせるか、「成長のステップ」にするか。
その境界線は、支援者の頭の中に「この遊びを通じて、この子のどの扉を開きたいか」という明確な図面があるかどうかにあります。
私たちは、子供たちの「楽しい!」という純粋なエネルギーを、意図という羅針盤で未来の「生きる力」へと導いていく存在でありたいものです。