今回がはじめての投稿になります。僕は高校二年生なのですが、当方あまり文章を読まないものですから、稚拙な文章をお許しください。

 

今回僕のブログに足を運んでくれたのは、もしかしたら、離婚を考えている方かもしれません。それ自体になにも僕は思わないのですが、そのとき、子供はどう思うのか、どのような影響があるのか。それを自分自身の経験も踏まえ考察していこうと思います。

 

僕の生い立ちについて

 僕は一般的な家庭に生まれたと思います。6歳上に姉が一人、当時専業主婦の母、そしてサラリーマンの父(大企業に勤める)がおりました。姉の取り柄と言えば、親にピアノを習わせられており、唯一それを続けていたことです。母は、飲み歩くのが好きなそういう人でした。タバコはよく吸っていました。でも一般的な常識や教養は僕につけてくれていたのではとは思います。父は当時(僕が中学になるまで)基本的には単身赴任でしたから半ば数年だけ大阪に(僕は大阪に住んでいます)戻ってくることがあっても、あまり幼い頃に生活を共にした印象はありません。この中で、とある5階建マンションの4階の一室で僕は姉、母と生まれから小学5年生まで過ごすことになります。(離婚するのは僕が中学1年の冬辺りです)それまでの自分の人生を振り返っていきたいと思います。お付き合いください。

幼稚園卒業まで

 とある私立幼稚園に通うことになります。この頃の記憶では、とても楽しく無邪気に過ごせていたのかなぁ、と感じます。一番記憶に残っているのは、母のある言葉です。母は体が悪い、どこかが痛む、とよく口にしていたものですから、当時の僕は、かなり心配していました(今も問題なく母は健在しておりますが)。そこで僕が声をかけたときは、必ず”あなたの笑顔が一番の薬”このような言葉をかけてくれていました。なぜか今でも覚えていますし、やはり幼少期どう過ごすかは人格形成に関わると痛感しています。当時だけでも、保育園に入れられていたら、このような言葉をかけられていなかったら、おそらく僕は、高校にさえ行けてないと思います。それほど当時、愛情を受けていたことは覚えております。

小学校5年生まで

 そんなわけで、僕は小学校に入学します。もちろん無邪気な、普通の小学生でした。小学一年生のときは下校前に仲良し2人と門前の泥で泥だんごを作っては、帰る途中にどこかに投げて、遊んでいました。歩道橋の上から誰かが落として、車にヒットしてしまった翌日、通報されたのでしょう、門前で泥だんごを作っていたのは常でしたから当然、当てたのは僕たちだと断定され、叱られたのを覚えています。少しやんちゃな性格になった僕は、進級していくごとに友達を増やし、学校ではかなりの人気者になっていったと今思います。習い事は常になにかしていましたが、それ以外の日は全てどこかへ誰かと遊びに行く。そんな生活をずっとしていました。ゲームも僕は好きでしたので、家でゲームを遊ぶタイプの友達の枠組みにもおりましたし、アウトドアな公園で走って遊ぶタイプの友達の枠組みにもいました。友達の範囲が非常に広かったのを覚えています。ここまでは、友好関係の話。

 小学生になった辺りからでしたか、母親が飲み歩くようになりました。姉は僕が小学生ですと6歳年上で中学生よりも上で、しかも少しチャラい方でしたから、母親に連れられて居酒屋に行ったりしていました(それが原因でチャラい方になったのかも)。

もちろん、晩御飯は食べないといけませんから、僕も晩は居酒屋やバー、スナックにいったりする日も結構ありました。普通の小学生が行く場所ではないことくらい、僕もわかっていましたから、かなりそこへ行く事や、母が行っていることに嫌悪感を抱いていたのは忘れていません。晩御飯を居酒屋で3人で食べるのですから支払いも毎回1万数千円は払っていました。当時の僕は金銭感覚がなかったのですが、ゲームのカセットは高くてあまり買ってくれないのに、1回の食事で2本以上カセットが買えるではないか、とだけは毎回思っていました。だからこんなことを覚えているのでしょうかね。

もちろん居酒屋で食事を済ませたら、僕だけ家に帰らせて、基本は姉を連れて二軒目に。夜中に突入すると姉を返して、また飲み続けます。週3か4くらいのペースでしたか。小学生の僕は夜寝るときに、母がいないことが苦痛でしかたありませんでした。幼稚園のときに与えられていた愛情のせいでしょう。母が飲みに行くときはよく泣いたりして止めていました。無駄でしたが。親がいなくなってからも泣いていたので(寂しさからではなく、親が夜に出かけているという、どこからかくる不安、放ったかされているのではという寂寥感からきていたと思います)。父親はこのことを知らず、逆に知らせると、揉めてしまうことはもちろんわかっておりましたから、このときは言えませんでした。これが5年生まで続きます。

 

 

なぜ小学5年生までなのかというと、ここで初めての大きな人生の転機となる引越しに突入します。理由などは次回続きを書きたいと思います。