箱舟を作るといっても、既に捏造の疑いをかけられ、予算も削られた状態では、本格的なものは望めなかった。あくまでも、タブレットの解読を進めるための模擬的なものに過ぎなかった。
最も困ったことは、設計図の基本となる長さや重さの単位を確定することと、それを現代社会での実際の度量衡の単位に変換することだった。
それを、乾は実際の長さや重さが分からなくても、立方体の各辺のおおよその比率を当てはめることで、箱舟は作れると主張した。
材質も分からないのだから、重さも分からなくても仕方がない。様々な条件を検討し、最終的には経済的な観点から決められたのが、メソポタミア政府の鉄道省から、廃止になった古い車両を払い下げてもらうことだった。
2両編成の小さな旧式の電気鉄道列車が、箱舟の原型となった。
「これが手に入っただけでも、大躍進ですね。吾妻さん。」と乾は大喜びだった。
実際これは、この列車ハウスは乾の発案と粘りがなければとても、実現することではなかった。だから、列車ハウスの本当の生みの親は乾なのだ、と吾妻は考えていた。
設計図を見ながら、多少手を加えることもあったが、外観は概ねそのままの状態で使うことができたのだが、問題は、内部の複雑な構造だった。いくら楔形文字を解読しようとしても、わからなかった。
そして3か月ほど経過したある日、タブレットと一緒に発掘され列車ハウスの中に保管していた植物の種が発芽した。光や、空気中の水蒸気などに反応したのだろうか。発芽は全くの予想外の事だった。
列車ハウスの中で発芽した植物は、順調に成長し、やがて列車ハウスの内部で美しい花を咲かせるほどになった。そして、その植物がどのような実を結ぶのか。乾も楽しみにしていたのだが、既に半年が経過し、乾は就職の為に日本に帰国することになった。
「成果を見ずに帰国するのは残念ですが、吾妻さんの研究が成功するのを楽しみにしています。」乾はこの後、国立航空宇宙研究センターの採用試験にパスした。
乾が帰国した後で、植物はさらに成長し、実から落ちた種がさらに多くの植物を生み出した。やがてそれは、蔓のように列車ハウスの内部を縦横無尽に埋め尽くし、さらに複雑な構造へと変化していった。