長野の話によると、山本先生は、そこで更に修業を積まれ、やがて『天の船』の一員として認められ、日本に帰って、『天の船』の日本支部を作ったとのことでした。
「『天の船』とは、どのような教団なのですか?」
「私達が目指しているのは、人間が創られたもの、つまり『人形』として生まれてくる存在であることの自覚と、認識。そして、その事を踏まえたうえでの、自由である事の認識です。」
「人形である事と、自由である事は矛盾しませんか?」
「私達は不完全な存在として生まれてきます。親無くしては何もできないし、何も理解することもできない。存在することが出来ないのです。しかし、いつまでも親に従っているだけでは、やはり存在できなくなります。
それは、精神が弱ってしまい、果ては狂ってしまう、そのような存在なのです。人形として生まれながら、しかし自立してゆかなければならないのです。一見すると、これは当たり前のことであり、誰もが子供から大人へと成長する、唯それだけの事のようにも思えます。
ですが、実際に多くの人は自立できたでしょうか?親をはじめ、自分以外の存在に頼ることなく、自由な立場で共存しているのでしょうか?
誰かが、誰かを支配している、或は誰かに支配されている、そのような関係から抜け出せずにいるのではないでしょうか?
原因は様々でしょうが、この支配、被支配、或は依存の連鎖を断ち切ることで自由な独立した関係が生まれるのだと思います。」
「それは、どのようにして可能なのですか?人は、単独では生存できませんよね、集団生活をする以上、何らかの支配関係が生まれるのではないでしょうか?」
「そうです。そもそも、無力な子供として生まれる以上、必ず、誰かに依存し、支配されるのです。シュメールの経典で言われる所の『泥から作られた人形』とは、このような子供の状態を言います。その人形は、神々のの労働を代わりに行うために創られました。人間の子供はまさに、その親の労働を肩代わりすることが求められます。
ですが、そこから成長する過程で、その依存を乗り越えなければならないのです。
その依存関係を乗り越えた状態が、自由な独立した人間なのです。しかし、これは誰もが出来るとは言えないのです。
この状態に精神が至る事を、私達は目指して修業しているのです。」
「具体的には、どのような事をなさっているのですか?」
「申し訳ありません、これ以上は実際に修業を体験して頂かないと、説明は難しいのです。」
「分かりました。ところで、山本先生がネパールへ行かれた頃、ほぼ同時期に『神州光輪会』の花澤行雄氏がネパールへ行かれたと聞いていますが、御2人のご関係についてお尋ねしてもよろしいですか?」
鈴木が、長野に花澤行雄について尋ねた。