2001年 11月 21日(月) 日光

 

 雨は、100日間降り続いた。途中でやみそうな気配もあったのだが、そうするとまた台風などがやってきて大雨になるのだった。ここ日光でも中禅寺湖が決壊し水があふれた。

東照宮の前の通りも滝のような雨水が流れた。だが、むしろ山の上にいたほうが幸いだった。

 

 平野部では利根川をはじめとした河川の決壊で都市の3分の1が失われた。

雷のような光の矢が降り、建物や発電所なども失われたようだ。

 

政府は、水の侵入を防ぐため、山手線を鉄の壁にした。

守るべき境界を定めたようだ。

その壁の外側は、特に下町と呼ばれた地域は、濁流にのまれたようだ。

 

世界は、守るべき場所と、そうでない場所に分けられた。

私のいる場所は、政府の外側に置かれたようだ。

 

 外側に置かれた人々は、当然抗議の声を上げるのだが、政府の判断は変わらなかった。

私のいる日光に取り残された人々は、むしろ幸いだ。

もともと、政府の恩恵にあずかってはいないのだから、今や、外国人も山を自力で開拓し食糧の確保に努めている。

 

このようにして、都市と地方は全く別の関係になった。

地方には自立の機会が与えられた、そう考える人々もいた。

 

しかし、大勢の犠牲を伴ったこの災害は、深い亀裂をもたらした。

壁の外側の平野部では、まだ水が引いていないのだ。また、水が引いた地域でも帰るべき家は失われている。政府の対策は、まだなされていない。人々は、自力で親類や知人を頼って住むべき場所を探していた。

 

災害の多い国だが、トレーラーハウスを用意するなどの、現実的な対策はされず、相変わらず家を建てることに終始していた。