ロクサーヌ (その85)
2001年 7月31日(火) 恐山
私kは、目覚めた。そこは、恐山の霊場だった。私のそばに一人の老女がいた。
私は、恐山の湖の淵で倒れていたらしい。恐らく硫黄のガスを吸ったのだろう。
私は、長い夢を見ていたようだ。その夢の最後で私は死ぬのだが、死ぬ前に最後に見たのは、私が一人の婆羅門僧の招きによって、唐の長安へ行くという夢だった。
『大唐長安城』と書かれた街の通りを歩くと、一人の婆羅門僧が私に向かって、
『あなたが来るのを待っていました。私は、あなたが来ることを夢で知っていました。さあ、ここで共に修業しましょう。怠ってはいけません。修業はあなた自身がするのです。』そう言われた。
私は、起きるとすぐに、その夢の話を傍らの老女に向かって話した。
誰かに言わずにはいられなかったのだ。
その老女の顔は、かつて私がフロストと呼んだ老女のようであった。
老女は私に言った。『努力し修業するのは、あなた自身です。どんな尊い婆羅門僧もできるのはただ教えを説くだけです。瞑想し、実践する人はあらゆる妄想や苦難から解放されるでしょう。怠けてはいけません。』
私は、霊場を出ると、元来た道を引き返し東京へ帰ることにした。
東京へ帰る道の途中、私は長い夢を思い出していた。
何のために繰り返し生きるのだろうか?生きるとは、どういうことなのか?
意識が終わることが、死ぬことなのか?
私は、何者かにプログラムされているのだろうか?あるいは私の行いを誰かが見ているのだろうか?
様々な疑問が浮かんでは消える。
だが、一つ以前とハッキリ違うと感じているのは、私はもう他人を、他人の目に映る自分を、
恐れてはいないということだ。
勿論社会の中でその一部として生きる以上は、守らねばならない義務がある。それは当然だ。
しかしそれ以上のものではない。従うべきは、自分の心である、と思った。
私が自分の路を歩くのに、恐れることはないということである。