2019年9月で卒業してから、一年と少し経ちました。

その間、誰も予想し得なかった、
この新型コロナウイルスが蔓延する状況となりました。

コロナ禍において、今在籍している方々や、
学校の運営に関わっている方達は本当に大変な状況と思います。
学習の継続が困難になった方もいらっしゃるかもしれません。
皆様の状況、環境が良くなる事を強く願っています。

本ブログは、入学から卒業のタイムスケジュールを残しておきたいと思い書いたので、
これから書く記事は蛇足になりますが、
卒業してからの事を少し書き足してみようと思います。

この先、卒業式などどのように行われるのか、見通しがわからないので、
2019年の秋卒業の記録を覚えている範囲で残します。
ご参考になれば


9月に在籍が終了して、10月の終わりに学位授与式と祝賀会に参加しました。

学位授与式は市ヶ谷の校舎で行われました。
一階で受付を済ませて、最初に広めの教室に集まり、
代表の人が学位記を受け取り、祝辞があり、
その後、各学部に分かれて各自学位記を受け取った。
という流れだった。のかな。。ちょっと記憶が曖昧ですが。

出席者は着物を着ている方がいたり、男性はスーツが多かったです。
会場の教室も、紅白の布で演出していてそれなりに式典感がでていました。

学長代理の方のスピーチで、
今日の卒業の日を迎えられたのは、周りの助けがあっての事なので、
今日はサポートしてくれた家族や職場の人など周りの人達に感謝しましょう
という事を話されたことが心に残ってます。
子供がいる方なら、通信学習は周囲のサポートがあってこそ出来る事だと思いますし、
スクーリングで話した人では、職場にスケジュールの融通をつけてもらっている、
と言っていた人もいました。
私も、在籍中には妻との用事よりも、勉強を優先させてもらった事もありました。
本人はもちろん、関わりがある人の協力が報われた日でもあったと気付かされました。

式場で見たところ、同年代くらいの人が親と同席していたり、
子供と旦那さんが同席した方もいたので、
それぞれ思い思いにこの日を迎えたんだなと思いました。

学位授与式が終わり、市ヶ谷駅の校舎とは反対側にある日大会館⁇
みたいなところへ移動して、祝賀会が行われました。
立食パーティー形式で、ケータリングの食事とフリードリンクでした。
料理はそこそこ種類があった気がします。

以前の記事で少し強めに書いてしまいましたが、
私は基本的に大学内での友人を作りませんでした。
スクーリングで会話をした人も、会場に来ている人を見た感じで居なかったので、
近くにいる人と歓談してみたのですが、
これが今思い出しても良い出会いというか、その後の目標が定まった良い会話でした。

話しかけた方は成績優秀者の方で、仕事も立場がありながら、良い成績をキープできるようやりくりして、
素晴らしい姿勢で大学生活を終えられたようでした。
友人の方も日商簿記1級をこれから受けると言われていました。2人とも仕事は経理関係の業務をされていたのかな。

私は、8月のスクーリングで簿記の理解の入り口に立てたような気になったので、
11月の3級を受けてみようと思うんです。
と2人へ話をして、3級は簡単だから是非受けて、その後2級を目指した方がいいですよ。
というようなやり取りが有り、
この会話からインスピレーションを感じて、簿記の勉強に気が向いていきました。
そして、1年以上に亘る簿記沼にはまる事にもなりました。
これは次で書きます。よければ次の記事もお付き合いください。

他には、お酒が進み感極まった方が、卒業まで8年かかったんだよ。
と涙ながらに言われた事も印象的でした。
諦めずに続けたんでしょうね。
執念を持って成し遂げた事に感動しました。

2時間ほどで会は終わりました。
私の大学生活は、書類上だけで入学して
最短卒業を目指すべく慌ただしくこなす内に卒業を迎えたので、
こうした催しに参加する事で、はっきりとした区切りの実感を得られてよかったと思っています。
なので、入学式や卒業式の開催が不透明な環境になってしまった方々には、本当に残念に思います。皆様の節目にも、何らかの形で催しが行われる事を願っています。

記念品は、日本大学のプリントが入ったリーデルのグラスでした。

祝賀会の後に両親の家に行き、学位記を見せに行きました。
父親が以前に、大学を卒業して欲しかった。
とポロっとこぼした事があったので、
少しだけ親孝行ができたのかと思いました。

次は蛇足の蛇足になりますが、
卒業してからの勉強の記録を書きたいと思います。