リベラリズムの残り火 | GPWN管理人日記(旧NGO日記)

リベラリズムの残り火

 新潟中越地震で苦しむ被災者を、天皇・皇后両陛下が訪問して励ました。この訪問は両陛下の意思に基づかれているのか、政府・宮内庁の指示によるものかはわからない。しかし前者だったら、被災者はうれしがるだろうと勝手に思っている。少なくても、ヘタな政治家が被災地にやってくるよりはありがたいだろう。私は別に皇室賛美論者ではないが、彼らみたいな階層のお歴々がこうやって一般庶民を励ますのはいいことだと思っている。 彼ら皇族だって人間だ。それ以上に、彼らはいきたいところにいけないし、絶えずお付きの者がつきまとうなど、日常生活においても窮屈な思いをしている。昨今騒がせている、雅子皇太子妃の問題も、彼女の行動を宮内庁があれこれ制限しているのがそもそもの発端だ。双方とも現段階ではおとなしくしているが、いずれまた問題が勃発するだろう。
 テレビでほほえましい光景を見た。皇后が被災者に話しかけている時、幼子が皇后の背中をポンポンと叩いたのである。皇后はそれを見て、にっこりと微笑んだ。これが戦前だったら、大変な大騒ぎになっていただろう。幼子の両親は「不敬罪」の咎で罰せられ、主張は弾劾・罷免されるだろう。時代は変わったものだが、現天皇のモットーにあからさまに異を唱える勢力は、必死になって復古政策を推し進めている。そのいい例が、東京都教育委員会によって推し進められている入学式・卒業式における「日の丸・君が代」に忠誠を誓わせる政策である。これに異を唱える教師は片っ端から研修を受けさせられ、研修の違法性を訴える教師は裁判に訴えている。
 しかし、彼らは大いなる誤解をしている。なぜなら今の天皇は、幼少時に家庭教師によってリベラリズムをたたき込まれた人間である。そのため、保守反動派の鎌倉節・元警視庁警視総監が宮内庁長官だった時代、現天皇はことあるごとに鎌倉と対立を繰り返したという。「君が代・日の丸」強制政策を推し進めているのは、東京都教育委員会の教育委員を務めている米長邦雄棋士である。彼は最近開かれた園遊会に出席し、天皇に「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが仕事です」と得意げに話したところ、天皇は「やはり、強制でないことが望ましいですね」と答えたのが話題になった。面目を失った格好の米長はうろたえた表情で「それはもちろんでございます」と答えるのが精一杯。政府もこの天皇の発言を矮小化しようと動き回った。今の憲法において、天皇は国民の象徴であり、政治的発言は禁忌である。しかし天皇が園遊会においてこのような発言をする背景には、若かりし頃に受けたリベラリズムの影響があるのかもしれない。
 かつての自民党には、保守リベラリズムを代表する政治家が沢山いた。石橋湛山、三木武夫、河野兼三、田川誠一、宇都宮徳馬、鯨岡兵輔。だが今の自民党に、保守リベラリズムの薫りがする政治家は河野洋平だけになってしまった。その河野だって、自民党内では「一丁上がり」扱い。ずいぶん舐められたものである。
 先の大統領選挙でも、アメリカ国内リベラリズム退潮を止めることはできなかった。真の意味でリベラリズムの香りを漂わせているのが、政治的な発言を憲法で禁止されている天皇だけとは、情けない限りである。