私が封印していたもの


それは 


夫の膠芽腫発覚直後から書き始めた

私のアプリの日記


怖くて見られない。


夫の脳腫瘍が発覚してから

私自身のやり場のない気持ちと

日々の出来事を書き殴っていた。


夫が入院してる時のほうが

たくさん書いていた。


自宅療養中は、介助が忙しくて

メモ書き程度だった。


書くだけで、それを見返す事は

全くしなかった。


怖かったからだ。


このブログは

夫が亡くなる

2ヶ月前からなので 短い。



8回目の月命日の深夜、

寝る前に、


なぜだか、


一年前はどうしてたんだろうか?


と 何気に そこを開いた。


自宅療養中。

辛さと不安が、心を占めながらも、

表面上は穏やかに生活してた頃。

夫は、会話がほぼ出来なくなってた。

喋ろうとしても、

単語(名詞)が出てこなくなってた。

「あれじゃがあ、わからんかなあ」

が口癖になっていた。


夫の苦しそうな状態を

そばにいる私も

苦しかったので、

私が先回りして話したり、

質問をして、

夫には、

YES &NOだけを 答えさせるような

生活を続けていた。


オプチューンをつけて、

ベッドや

リクライニング椅子に座って

歌番組をみながら、

ワンコたちとのんびり生活していた。

そんな時期だった。


1年前のアプリ日記には


〇〇ちゃんが、初めて泣いた。

「なんで、ワシなんじゃあ…!」と

咽び泣きながら。



それを見て

その日を思い出して、

涙が溢れて止まらなくなった。


闘病中、夫が私の前で泣いたのは、

たしかこの時だけだと思う。


辛かったなあ、〇〇ちゃん。

家族のために、30年以上働き、

いろんな我慢もしてくれた。


脳腫瘍が発覚する前は

数年後に始まる老後生活を

不安に思い、

ナーバスだった。


それが、

膠芽腫を発病させた原因

なんだろうか?


早期退職したくて、

その後の生活設計ばかり考え、

数年前から、

資格試験をたくさん取ってた。

結局、望んでない形ではあったけど、

早期退職になった。

いや、

死亡退職で終わってしまった。


私は、

60歳で定年、

65歳まで定年延長して、

現在の主流の形で 仕事を終えて、

農業や私の実家じまいをしながら、

やり残してた事をしようよ!と

提案したけど、

年金だけでは、

生活が成り立たん!

と言って、(個人年金もあったのに)

その後も現役で働きたがっていた。


(数年前に 農業をしたがった夫に

夫の両親が対抗して

田んぼを他人に貸し出したり、

農機具を完全に売却した。

それがきっかけになって、

夫が現役で働く事にこだわり始めた)


子供たちが、社会人になって

何年も働いてるんだから、大丈夫だよ。

2人だけの小さな生活をしようよと

言ったけど、

それでは、生活できない!と

反論された。

私もパートに出るわ!

と言うと、

お前はずっと働きに出なくてもええ!

〇〇ちゃん(私の母)の介護を

してやらんといけん!

と言ってた。


脳腫瘍が発覚して、

「幸せに出来んで、ごめんな」と

言われた。


2人で困難を乗り越えてきたし、

インドアの私をいろんなところへ

連れて行ってくれて、幸せだった。

でも、何気ない会話が1番楽しかったし、

私は夫のギラギラした笑顔が

大好きだった。

夫からは、

おまえの笑顔が好きだと

何度も言ってもらったのに

私からは言った事がなかったね。

ごめんね。


辛かった最期の10ヶ月。


亡くなった事で、

苦痛や辛さや心配事から

全て解放されて、

楽になったんだと思いたい。


あまりにベッドの上で泣きすぎて、

アプリ日記を見た事に

後悔した。


普通に淡々と

暮らしてるつもりなのに、

こんなに感情を揺さぶられるとは

思ってもなかった。


ワンコベッドで 

1人で寝てた

お姉ちゃんワンコが

私のベッドに上がってきて、

「布団に入れて!」いう感じで

訴えてきて、掛け布団を持ち上げると

スッと入って、

私の腕にマズルを置いて寝始めた。


彼女のマズルの温かさと寝息が

辛い心を和らげくれた感じだ。


背中には

僕ちゃんワンコもずっとくっついてる。


私は 2匹に守られてる。


夫が残してくれたワンコ達。


ありがたい存在。


でも、この日は珍しく朝まで

涙がとまらず、寝れなかった。


朝、起きてきた認知症の母に

「どうしたん? 目が腫れとるで!」

と言われた。


このアプリ日記で

過去を振り返るのは、

まだまだ無理だなと思った。