1964年夏、ベトナムから日本へ舞い戻った岡村昭彦は上野英信の家で従軍記の執筆にとり組んでいた。

「いやだな、こんなものをいくら一生懸命に書いたって、なんの役にもたちゃしない。骨折り損のくたびれもうけだ。いっそ苦労するんだったら、やっぱり子どもたちが読んでくれるものですよね、上野さん、日本の作家というやつらは、どうして一番いい作品を少年雑誌に書こうとしないんでしょう。『世界』や『中公』から未来が生まれるとでも思っているのでしょうか。子どもを忘れた民族や国家なんて、ほろびてしまいますよ。ね、せめてぼくたちだけでも、真剣に子どもの読みものにとり組みましょうよ。」

そんなとき、彼の血走った眼は、斬りこむように鋭かった。そしてそんなとき、彼の心は矢のようにヴェトナムの子どもたちのもとにとんでいた。じっさい、彼は、もうとっくに締切りがすぎた従軍記の原稿に追いまくられながら、『少年マガジン』や『高二時代』などという雑誌の原稿だけには、どんな精力も時間も犠牲も惜しまなかった。ことばどおり、彼はもっとも真剣にとり組み、そんなときだけ彼はもっともたのしそうであった。作品もまた、もっともいきいきとしていた。彼の最上の作品の幾つかは、大人向けの一流雑誌よりも、むしろ少年雑誌のなかに求められなければならぬ。そしてこのことは、いうまでもなく、岡村にとってなによりも大いなる光栄でなければならぬ。(上野英信1986「解説」『岡村昭彦集1』筑摩書房、P.480)


しかし、これまで、岡村昭彦の没後に再録された子ども向けの著作はわずかに次の2点であった。

①「忘れ得ぬヴェトナムの少年」『高二時代』、196610月(岡村昭彦集第1巻に再録)

②「この目でみたベトナム戦争」『学習』学研発行、19652月号(『シャッター以前vol.5』岡村昭彦の会、2010年、川島書店、p.110-116に再録)

 たとえば、②について、米沢慧氏は次のように述べている。「なお、今号では、かつて「小学生向けの文を発表したことがある」と岡村が語っていた文章をついに入手掲載することができた。」(「刊行にあたって」『シャッター以前vol.52010年)。

それがこのほど(2010315日に春彦氏宅を訪問)、岡村春彦氏(岡村昭彦の令弟)から受入れた岡村昭彦関連資料の中に見つかった。その中には、まさに、前述した上野英信が言及している、1964年の『少年マガジン』、『高二時代』も含まれていた。他にも全部で18の作品があった。その詳細は次をご参照ください。http://ci.nii.ac.jp/naid/110007667018

(比留間洋一)





「やはりそうか!」と私は悦に入った。ジョン、ポール、ジョージがアイルランド系であることに関する箇所に書込みがある(No.1,3,4,5 )。邪推だが、他にも、「リヴァプール」(No.6)もアイルランドとつながる。「赤毛」(No.9)もアイルランドとの関連性だろうか、あるいはキャパの恋人「ピンキー」がらみかもしれない。

他に、No.2ではジョン・レノンの「人生の哀しみ」に注目している。No.11(わざわざ×印を2つ付している),No.12も興味深い。岡村昭彦が芸術選奨文部大臣賞を受賞したのは1965年4月のこと。ビートルズの受勲(1965年6月)とほぼ同時期である。ビートルズのコメント(No.12)に共感する部分があったのではないか。

 付け足しだが、最近(!)刊行された、福屋利信『ビートルズ都市論 リヴァプール、ハンブルグ、ロンドン、東京』(幻冬舎新書、2010)によれば、ビートルズの中のアイルランド性(アイリッシュネス)に着眼する視点は実に正鵠を得たものなのである。

「本章はこれらの断片を体系化し、ビートルズとリヴァプール及びアイルランドとの関係を解明して行く。そして、ビートルズというロック史上最高にして最強のグループがイングランド辺境のリヴァプールから世界に羽ばたいたのは、単なる偶然ではなく、根拠を有する必然であったことを論証する。」[福屋2010:20-21]

(比留間洋一) 



No

頁数、節のタイトル、文具とその色

該当箇所

1

「目次」「第1部リヴァプール」「1 ジョン」「3 ポール」「5
ジョージ」の3人の上にそれぞれ黒鉛筆で、

IRISH」と書込み

2

9頁 「1  ジョン」の節。赤ボールペンで、文頭に「×」の印。

× みなし児になったのは一九二一年、九歳のときで、その年に父親のジャック・レノンが死んだのだった。

3

No.2に続く文章に線が引かれている。

このジャック・レノンという人は生れはダブリンだが、人生の大半をアメリカで、職業歌手として送った。



4

26頁 「3 ポール」の節。赤ボールペンで、ポールの母親に関する次の文章に線が引かれている。

夫と同じくアイルランドの出身だった。



5

39頁 「5 ジョージ」の節。赤ボールペンで、ジョージの母親ルイーズに関する次の文頭に「×」印および文章に線が引かれている。

× ルイーズの父親はアイルランドのウェクスフォードから来た人で、初めはアイルランドふうにfの字を重ねてFfrenchと綴っていた。

6

75頁 「11 ハンブルグ」の節。赤ボールペンで、ハンブルグに関する次の文頭に「×」印および文章に線が引かれている。

× ハンブルグはドイツのリヴァプールである

7

106頁 「15 ブライアン・エプスタイン」の節。赤ボールペンで、ブライアン・エプスタインに関する次の文頭に「×」印および文章に線が引かれている。



× エプスタイン家の財産を創ったのは、ブライアンの祖父のアイザックだった

8

赤ボールペンで頁数に、二重下線が引かれている。

107

9

107頁  「15 ブライアン・エプスタイン」の節。赤ボールペンで、ブライアン・エプスタインに関する次の文章に波線が引かれている。

髪の赤い子供が赤毛(ジンジャー)

10

133頁 「18 リンゴ」の節。赤ボールペンで、リンゴに関する次の文頭に「×」印および文章に線が引かれている。

× かつてリンゴが自分の家系を調べてみようとしたとき、このことは非常な紛らわしさの原因となった。スターキーという名前は、もともとシェトランド諸島から出たものと言われる

11

200頁 「25 旅公演の終り」の節。赤の色鉛筆で、ビートルズの大英帝国勲章(MBE)受勲に関する次の文頭に「××」および年月日に線が引かれている。

×× 一九六五年六月十二日

12

201頁 同上の内容に関する次の文章に赤の色鉛筆で、線が引かれている。

ぼくたちがMBEをもらうことになって、みんなが考えたように、ずいぶんへんな話だと思った。なぜ、もらうんだ? 何のために? ぼくたちも信じなかった。ぼくたちにとってやっぱりありがた迷惑だよ、そういうものは。


(比留間洋一)