「自分のフィールドをもちなさい」―― 「岡村さんと母親たちの会」の勉強会に出ていた専業主婦に対する岡村のアドバイスである。
前々回(“漁民”のための教材(1))の引用文の中に、「これに「海の幸を守る会」などが協力した」とあった。
2010年6月、私は「海の幸を守る会」を牽引した稲田正子さんに電話でお話を伺った。
1971年、「安全な食物を作って食べる会」(有機農業)の中に「海のさち小委員会」設置。稲田さんは「食べる会」の役員であり、「母親たちの会」のメンバーでもあった。
では岡村は稲田さんたちにどのようなことを語っていたのか。「講演会 しらすをめぐって」(1976.5.26)のテープ起こしから一端を紹介する。
「皆さんが安全な食品をお食べになりたいという運動をなされば、当然、垂れ流しの公害なんかに反対なさらなきゃならないわけですけれども」。
「そういう場合にも、日本の革新勢力というのは漁業問題をも全く知らないんですね。…これはわたくしがよく皮肉を言うんですけれど、マルクス・レーニン全集の中に漁業問題が載っていないだろうと」 。
「もう少しお母さん方が自然というものに敏感な神経をもってくださいますと、安全な食品というものがどういうものかわかる」。
1977年11月、舞阪の海を守る闘いがはじまる。1979年2月、「海の幸を守る会」発足。
稲田さんの話。
「もう1つ違う現実が起きた。し尿処理場をつくる計画ができて、漁協がリコール運動をしたり、裁判闘争をやったのは大変だった。漁民と組合と岡村さんが参謀。わたしたちは消費者の代表として。消費者として汚されては困ると、浜松市、静岡県、環境庁を相手に訴える。そういう役割を担った。」
「わたしは「母親の会」にも入っていた。会の中で消費者運動をやっていた。物品として取り扱う。「海の幸を守る会」として、午前に「母親の会」、消費者の勉強会を午後にやっていた。」
1982年、闘いは和解 となった――
その翌年に刊行された次の2冊が、岡村文庫に所蔵されている。
①自然食通信社『自然食通信13:特集 魚の共同購入と浜に住む人々Ⅰ』、1983、新泉社
この本の中に、「舞阪・東京 海の幸を守る会 海に賭けた漁師とひと肌ぬいだ私達:静岡県・舞阪の海を守る闘いとシラス、青のりの共同購入」 という文章がある。
②日本有機農業研究会青年部編『われら百姓の世界』、1983、野草社
この本には1通の手紙が挟まっていた。
(比留間洋一)