到底ブログを更新できない精神の混乱と不眠過眠過食が続いた。

ブログに文字を綴る脳があるならやることがあった。

それから逃げて逃げて日がなイモムシのように出される薬をがぶがぶ飲んで、眠れず朝がくる日々。


2月3月の不眠は死を近づけさせるに十分な張り詰めた空気が続いた。


眠りたかった。ただひたすら眠りたかっただけなの。

デエビゴもレンドルミンもハルシオンも寝かさなかった。


今日早朝、わたしは一つの節目を終了させた。

実は断薬していた。7月3日から。

この為に夫婦であることを捨てたのだから、死んでも向かうべき事態に在った。


効かぬ抗うつ剤も眠剤も脳には邪魔でしかなかった。

眠れようが眠れなかろうが向かうべき事態が差し迫って、ならば眠らずを受容し、を選択した。


一言一句、嘘のない言葉でなくてはいけない。

裁判に有利な文字は弁護士が直せばいい。

わたしは夫へ妻として、何故誓いを捨てるに至ったか耳に届けたかった。

素直でしかいられなかった。

有利、不利は裁判をしているのだから関係ないとは言わないが、素直のみ夫へ訴えたかった。

裁判長でもだれでもなく。


誓いと契りは夫と結んだものであり、如何に被害に遭ったかではなく、それらを含めて夫と家族であることをあきらめざる得なかった全てを伝えたかった。


夫は夫婦円満、十分暮らしを与えていたと言うが、わたしほど誓いに於いて自らを鎖でがんじがらめにしてでも守ろうと赦し見て見ぬふりをし、夫の物言わぬ奴隷であった馬鹿もいないだろう。


誓い、とは守ってこそ誓いであり、それを音にしたり文字にしたり心に誓ったのだから、なんとしても守らねばならない。


それをできなかったのは何だろうと夫は静かに自問自答しなければいけない。勿論私もその日々であった。


三大生理欲求について、食欲睡眠欲性欲と多くの人は言うが、夫は集団欲なのだと言った。


アメリカのとある心理学者は、生存、関係、成長と提唱したらしい。

皆が言う三大欲求は生存に属し、夫の言った集団欲は関係に属すだろう。成長は説明は不要。


素直になった。

中学生の時の日記の表表紙に黒油性マジックでもっと素直にと書いた。その日記は夫の家に残されたままだが、あの頃からわたしは人間の素についてなんとなくあるべき姿を分かっていたのだと思う。


この先、恨まれ復讐を受ける日があっても素直になることが、夫に添い遂げたかったわたしの最後のラブレターではある。


こんなに静寂があったと知った。

素直の、恩恵。


弁護士は証拠ありますかとよく求めた。

策士じゃあるまいし、素直な生活の中で唯一夫に渡しつづけたそれを証拠などあろうはずもない。


それでも親友が、殺されるかと思うほどの容赦ないいつ終わるのだろうと身を固めた暴力の日々を文字でもいい音でもいい写真でもいい残しときなさいという助言で、僅かばかり残した。


証拠は離婚訴訟に必要なものではあるが、誓いを破るまで省みなかった夫は今でも間に合う、省みるべきだ。

人間ならば。


素直こそ、鋼の証であると思う。


ねむりたい。

パトラッシュとネロのように。


静寂の日々は人間らしく、無感情にさせた日々を取り戻す月日に充てたい。