先週の金曜日、カウンセリングと精神科受診を風邪の残りと心の準備が整わず、5月14日に変更してもらった。


すべてこの調子。

5月13日は面談を断り、夕方回転寿司を食べに行った。

1100円。

しあわせを感じ後ろめたさも感じたが、すぐわすれた。

100円均一で500円のコカコーラのドリンク用のマグカップを二つ買った。

姉と義兄の。

3年前の夏は義兄が死にかけた。その恐怖が毎年甦る。

その責任の8割が私と姉がかけた負担があると思うと、わたしなりの償いをせずにはいられない。

お金の使い道は夫にはわからない。でももう舟を降りてしまった私には考える必要がない。


5月14日朝、目が覚めてふと考えた。

いつも他人を優先し、じぶんがわからない人生を送ってきた私について、境界線の領域をふたたび侵しているのではないかと。

担当医とカウンセリングがない今日じゃダメだと、クリニックへ電話をかけた。

今日は担当医ですよ、と冷たく言われた。


めちゃくちゃ脳。

急いで向かった。

先生には変わらず以前の大不眠よりは眠れていますが、睡眠時間がまたすこしづつ減ってきていること、外出がものすごくおおきな行事ごとのように困難であることと、5、6時間前から備えてもでかける寸前には出かけられなくなる、と。

今日もここへくるまでがこんな近所ですらてんやわんやで、えいやらやっとデパスを1錠服用してきたことを伝えた。


先生はトリンテリックスを一錠増やしてみませんかと提案された。

内心、とびあがるほどウエルカムだったが、抑えてお願いしますと応えた。


だって二ヶ月の不眠が突然として眠れるようになったきっかけのお薬だよ。飲みます飲みます。

効果を感じない薬はごみだが、デパスとトリンテリックスは神様の如き。

夕薬としてロフラゼプ酸エチル1mgとトリンテリックス20mg。

睡眠時デエビゴ20mg。

デパスも飲んだな夕方苦しくなって。


オオサンショウウオの自決を聞いて声を聞くのも嫌になった。助けるが声は聞きたくなかった。

私は手前ごとで正直アンタより日々つらいんだよと思わなくはない。

というか、皆、我がが、いちばんつらいに決まってる。


私は靴とスポーツタオル二枚と日焼け止めクリームをじぶんの誕生日プレゼントに追加した。

集会で靴を脱ぐと臭い。アタチのだ。

靴底も溝がほぼなくなっていた。スポーツタオルというよりマフラータオル。34cm×110cm。


公共バスの夏の車内のクーラー、どうにかならないのか。

背が足りず向きも変えられない。汗をかいた身体を急速に直撃で冷却してくれる。

首のつけねに直撃すると100%風邪を引く。

夏用の洒落た薄地の巻物なんか意味ない。

これで公共バス乗車もこわくない。


でね。

今日というか昨日22時くらいにオオサンショウウオにおやすみを言って、通話を切った。すごく眠たかったので即シーパップを装着して睡眠体制になった。

真っ暗。携帯、タブレット電源オフ。


ゆめをみたの。

父も母も弟も若くて、幼くて、姉もおばあちゃんもいたの。

わたしが生まれそだった大家屋。

父は客用に一杯呑ませる青いテーブルと椅子3脚を店の外に放り出した。

家族全員が笑っている

私はこれは夢じゃないの?と疑いながらも、家族に混じって声を出して大笑いしてる。

眠る耳に、私のばか笑いが聞こえる。

あそこの窓を開けると石州瓦で拵えた大きなカエルがいたんだった。

ゆめをみて、記憶の底にさえ埋もれていない事実を取り戻した。

このしあわせはいつまで続くのだろうと考えた。

みんながみんなの存在を喜び合っている、現実にさえこんなことはなかったしあわせが在る。

なにをしてもおかしい。皆笑う。

ふっと意識が返ってここはどこだろうと思う。姉と共同で暮らしていた時か、オオサンショウウオと寝ているときか、シェルターか、それとも新しい家の父と母と弟と四人暮らしの家か。


わたしは独りだ。

この集合住宅、ひとりぽっちで、トリンテリックスを一錠増やされてしあわせなゆめで眠りつづける家族無きひとりぼっち。

理解と納得までに、時間を要した。


最高の夢だった。

それはきっとトリンテリックスがみせてくれたのではないかと思う。

もう一度眠れたら眠って、起きたら現実のゴミ屋敷をなんとかできるだろう。


お父ちゃんにもお母ちゃんにも幼い弟にもしっかり者の姉にも寡黙な祖母にもソリヤにも会いたい。桜の大木の根の周りに、轢かれて埋められたわが家族の番犬達。

みな車に轢かれて死んだ。

父が血まみれの犬を抱きかかえて、桜の根の周りの土をおこして埋め留めた。


あの光景にしか、しあわせは存在しない。