この人生が失敗とは思わない。

他人の評価は関係ない。

生まれ落ちた環境、成育環境から考えたら、よくこの年齢まで生きている方だと思う。


先日の内科受診は過食の成果を反映してた。

いかん数字になってる。

あれだけほぼ毎晩アイスクリームとスナック菓子を食い荒らせば、成る。


精神科のカウンセラーは過食症(摂食障害)は治りにくい改善されづらいと仰りながら、小さな努力をすすめてくれた。


その前の信頼してる先生との初面談では、なぜ夜、過食をするのか理解できた気がする。

その理由を理解した時、改めてかなしかった。

トタン屋根の隙間から見える夜空に祈った、5歳のわたしの病は引き続き形を変えいまも継続しているのだと数十年分を泣きたかった。


その先生はわたしの人生をよくがんばってきたねとおっしゃった。

その通り。

頑張り続けてるが幼い頃のわずか数年の、日々の暮らしの中での恐れおののきが取り戻せずに大人にさせてくれない。

先生、つらいこども期ってわかりますか?

脳の吸収率の最も高いであろう6、7歳まで愛する両親の狭間で、家族の中で【わたし】という芽は彼らの玩具であった気がする。

おとながこどもを育てるのではなく、おとなの事情の中でじぶんの役目を覚えた。

保育園の女性の組担当の先生にお寺の陰に連れていかれていきなりほっぺをぎゅうっとつねられた。

耳元で、あんたが○○組さんでいちばん嫌い。はようおらんようなりーや、囁かれた。


姉の同級生の母親がその人で、姉の小学校の卒業式、娘らの卒業の御礼を親代表として彼女は啜り泣きながら立派なスピーチをした。

わたしは正体を知ってる。その娘も親の娘らしくふたつの顔を使い分けられる醜いひとだった。


とにかく女性の教諭には悉く嫌われた。理由はいまもわからない。

中学校3年間、音楽と家庭科の授業を教えたブーツ女からはあからさまにやられた。スタイルが良くて化粧もバッチリ、ブーツをはきこなし笑顔を振り撒いた。

けれどわたしにだけは憎しみの表情を見せた。ことばの代わりのその表情はわたしは他とは違うを理解させた。

皆に紛れてわたしに向けられない笑顔に混ざってるふりをした。

25歳の時、一度だけ中学校の同窓会にでたことがある。

恩師とは思っていないが、3年間の担任だった男は酔っ払ってわたしにこう尋ねた。

『ぴーちゃん、アンタ○○○鈴先生をおぼえとるかね?』

はい。

『アンタ、なしてあがあに、○鈴先生に嫌われとったの?』


酔っ払って同窓会でそんな質問してくる担任もろくな奴じゃないが、気のせいではなかったことはおおいに理解できた。

教師同士でどんな会話がなされていたのか今でもききたい。

優等生ではなかったが授業を邪魔するような生徒でもなかった。

その女性教師のわたしを見る憎しみの眼で、家庭科も音楽も好きになることより、影で本音を聞かされたりつねられたり、彼女の怒りの沸点を爆発させないよう心掛ける3年間だった。


女性教師らのなにかを常に刺激、嫌悪させるわたし側からの何かがあったとしか思えない。

ひとり、ふたり、さんにん、よにん、ごにん。

同性の女のなにかを形を隠しながらそれでも意思表示せねばおられないほど、わたしは嫌われた。


今故郷にもし帰って、バッタリ彼女らに会ったら聞きたい直接。

そして別れ際、クソヤロー、教師なんかおまえの器じゃないからな。と吐き捨てる。

卑怯なイジメをする女子の頭とおなじ。イジメの親玉のくせしてターゲット以外には優等生で笑顔を貼り付けて生きてる。


気持ち悪い。

痛手ではない。

むかしからおとなの正体はおとなの方から教えられた。

いい大人なんかおばあちゃんしか知らない。

過去を語らずやさしくきびしくお裁縫の名人でお料理の達人で黙って【オンナノシゴト】をこなしていた。

今なら【オンナノシゴト】なんて言ったら攻撃されるだろうが、運命を受け入れて生きてる強さが、がきんちょのわたしには見えた。


諦める。

認める。似ているなと思う。

今朝ゴミを捨てて涼やかな風を感じながら思ったこと。

認めるまではできたが、その先のぶかっこうに咲きあげた花の修整ができない。


カウンセラーと先生はヒントをくれた。

摂食障害が治しにくいものだと音にした。それが先生ありがとう。

あなたは夜が怖いのね。そんな体験をしたら当然よね。よくがんばって生きてきたね。音にしてくれて脳にふらせてくれて先生ありがとう。


先生とよばれる様々な職業がある。

学歴も免状ももたない立派なセンセイもいる。

学歴に、職歴に、器に、嘲笑われてるセンセイはくさるほどいる。

だから信じねぇー。こっちはその時から知ってたからな、腐った女の性を。


夜、過食衝動していいようにトマト二個と絹豆腐と納豆と生卵を冷蔵庫に入れてある。

それは先生方の心を感じた言葉からのヒントをわたしなりに試している。


環境や成育環境の劣悪をどこまで修整できるか寿命か大病が先にくるかわからん。


わたしがどれほど朗らかで道化者でいたか、センセイらは表面だけしか知りもせず、憎んでくれた。

笑わずにいられない生活があった。

こどもはいつも無邪気でいたずらっ子で、ほどほどに大人を手こずらせて笑わせてあなた方の事情の浄化を助けてあげる玩具でしょう。


親になるな。教師になるな。

蛍がとんで鈴が鳴る。優しい城には椋鳥がいる。