過食と不眠と親への怒りを話した。

詳しく言えば生まれてから5歳位までの、親への怒り。

過食はその5年間の環境が生み出したもの。

子育てについて子のない私がどうこう言うのは違うという人もいるだろうが、5歳までの人間形成は少なくとも親の責任。

ふたりともおっちんだが、計画妊娠でもない欲と快楽の子である私の成育環境は、凡そまともな父母ではなかった。

私の人生の元を狂わせたのは、愛する両親。


日々殺し合いのような夫婦喧嘩。

姉は自室に逃げ弟は母にぶら下がる小猿。

わたしは仲裁する役。

役目。

誰かに指名されてはいない。

愛する母を守りたく、愛する父の暴力を止める為、他にだれがいたの。

散々母といっしょに気が済むまで蹴られ、その後は男泣き。

なぐさめるのはだれ。

母は小さい猿と別室へ。


母は男と恋を度々して、秘密を守る為にわたしはいっしょに連れて行かれた。

時には家に置かれ母が帰るまでの店番役。小さな女の子が客という位置の大人の男からどれだけいたずらされたか話したことはない。むろん母にも。

店番させたなんて父に知られたらまた喧嘩が始まる。


みたこともないお洒落をして、明らかに見せつけられる高揚を隠さず出ていく母。

公衆電話の後ろ姿からみえる艷やかな母の笑い顔。

親子電話の受話器をそっとあげてみた。

愛をストレートに囁いていた。この家を出たい。あなたと生きたい。我慢はもうイヤ。


公衆電話からでてきた母は、家が近づくほどに煙草の煙は車内に蔓延した。

顔は見ていない。

怒られることはしてないつもりだが、おまえがおまえがと不出来を責められた。

男とよがる声を襖越しにきいた。

父とのときと違う。


無垢で産み落とされ、育った環境の逃げ場は易く手を出せる店の菓子だった。

裏切らない。

絶対裏切らないしあわせを甘味はくれた。


中学1年生の時、風呂上がり脱衣室で偶然父に裸を見られた。

二人のとき、父は言った。

お父ちゃんは外見のことはなんにも思わん。でもおまえの将来の為にちぃーっと食べる量減らさんか?減らさにゃあいけんで。


母はもっと露骨に、街中で親子と思われとうないけぇ離れて歩けや。と眉間に皺を寄せてピシャリと言った。


ふたりは親になっちゃいけんかったんじゃないん?

両親の救急、必要な時、私は居た。


私の心の叫びは言葉での泣き言や訴えではなく、家族の目を盗んでたべる菓子。

てめぇらがこんな醜い肥満児に磨き上げたとは言わない認めない考えもしない。私がてめぇらの友人の男共のおもちゃにされてたと言わないであげたこと、思いやり、空気読んであげたこと感謝してもらえる?

いつも赦していたのはわたし。

いつも沈黙し菓子を貪ってた。

私から『怒り』を取り上げたのは欲に忙しいおまえらの都合。エゴ。

エゴの海で私は食べ続けた。

不憫な父、不憫な母に何が言えただろう。


こどもを快楽の結果で生むな。

子育ては自己犠牲の5年を了承し、産め。

そして徹しろ。

一生涯分の愛情を注げ。

足りるんだよそれで。

その5年で足りるんだよ。


私はいつもわりと平然としてる。

馬鹿にされても聞えよがしに『すげぇデブ』と言われても。

時には相手を見てジジイ死ね!と言い返すこともある。

爺なら、ね。

舌打ちには舌打ちをかえし、デブが!と続けばハゲならハーゲと返すこともある。


若者はスルー。こわいもの。

こどもには親に見えぬよう鬼の形相であっかんべぇ。トラウマはのりこえなさい。たいていの親はこどもに謝らせない。

母親が謝ってきたりする。すみませんとかごめんなさいねぇとか。

はい?

私の教育ができておらず申し訳ありません。なら解る。

あっかんべぇって、ものすごい変顔で攻撃。ふりむくたびにくりかえす。そのうちこどもは理解する。


昨日は精神科でカウンセリングを25分と診察。

カウンセリングで不眠と過食と幼少期の親への怒りをすこし話した。話せた。

絶望してると。生涯の殆どを過食で乗り越えてきたのだもの。

手放せると思えない。

でも、また3週間後まで、『センセイ、意識してがんばってみます。』と、ドアを閉めた。


恨み言を言うほど我が身の誕生を恨んではいない。

父は憐れで、母も憐れだった。

犠牲者だったとしても愛してる。

ちちがだいすき。

ははがだいすき。

見守ってくれてると思ってる。


二ヶ月すっ飛ばした内科も受診した。


やりなおし。


そうそう、診断書と、リフレックス(ミルタザピン)中止。