洗濯をまわしてる。そして干した。
今日はだれかの誕生日。
即返事が返ってこないのは返せない状況ってこと。
返事を待ってるわけじゃないがなんとなく不安になる。
いいのいいのいいのいいの。
14時間眠り続けた後はいつが寝時か脳が困ってる。
映画を観続けてブログを書き連ねてなんとなく始発電車の音を聞いてそれでも元気は有ったが今はぺっしゃんこ。
弁護士から。
集会なんだけど。
ふたつはできませんよ不眠のままでは。
母のお水をよなかに替えた。
毎朝やるとのきめごとさえ魂にさえ誓えない。
父が首を吊った日も母が絶命した夜もご飯をもりもり食べた。
かなしいと食欲もでない、なんて嘘。
食欲が失せたのは髪をひきちぎられて身体中グーパンされて、ボクシングのようなキックを腹と腕と太ももにリズムを刻むように何度も何度も蹴られて、夫がわたしの部屋を出て行った数時間は息をすることとじぶんが生きていることを確認するだけだった。
ストッパーのない人間は世の中に平然として社会人をやってる事実は多く在る。
なのに行政のDV支援縮小の兆しなんて。
デブスだから暴力を受けたんじゃない。
フェラがへたくそだから暴力を受けたんじゃない。
わたしであるがゆえ暴力を受けたんじゃない。
やる男が、居るだけだ。
腕力でねじ伏せてお金を渡さず私をわたしの関係した人間をこき下ろし侮辱した。
あの日の暴力が30分くらいと反論できるひと。お金は十分渡していたと嘘をつくひと。家庭は円満で寧ろ私が夫に執着していたと、夫と生きていくんだと決意した頃の古紙のような愛だけ有った、愛しかなかった手紙を証拠提出するひと。
結婚に於いてだけじゃない、人間関係を切るときもおなじ。深淵を覗こうとしなかった。許しつづけたかった。そして気づいてほしかった。あまいあまい飴玉のような固い決意は裏切りと裏切りと犯罪のくりかえしと暴力のすべてを受けて、許せなくなった。
たったひとりの理解者になりたいと結んだ心は、それらすべての出来事を通じてしぼんで萎んで、ぺしゃんこになった。
いかっていいのだとセンセイ達は言うが、未だに怒りらしきものがたぎらない。
ただ、決意を破ったことの失意と、じぶんの限界を知ったこと、新しい孤独な自由を生きているつまらなさとありがたさがあること、癒やすべき傷があることにじぶんがまだ気づけないこと。
欲しかったひとであったよわたし。
でも足りると欲がでるんだね。
孤独を埋める純粋な者以上のこの世の宝物って本当はないはず。
ぺしゃんこになったが睡魔すこし来たかも。
集会と弁護士の二本立てはムリ。