先日のカウンセリングで心理士のセンセイはイメージの助言をくれた。


センセイ、それはわたしできないんです。苦手と言うより虫酸なんです。ともいえず。


思い込みのつよい私がイメージを毛嫌いする理由は、肯定的イメージをもつことができないに尽きる。

イメージってそうとうな高等芸だと思うが。


白い透明な頑強な箱をイメージしてください。

その感情を空に向かって投げましょう。

センセイ、そのアプローチやめてくださいとは言えない。

センセイらもなにがしかの専門書に則ってアドバイスをくださってるのは解る。

しかしことばに説得力、説き伏せ力が無い。

無い提案ほど虫酸がはしる。


一途でなくてはならない。

イメージは濁りがあったら強度が無い。

わたしにはできない。


だが思い込みの強さは私ほど頑固なものもそういない。

思い込みとイメージ。似てる気がするんだができない。


たとえば、大貫さんみたいにジョギングしてたら竹薮から一億円拾っちゃったとか、ころしてもころしたりない姉の精神を病ませたアイツが突然死したとか、そういうラッキーな事実がわたしにふりそそいでこそ肯定的なイメージができるかもしれない。


マッチ売りの少女はそれができたのか。あれはイメージじゃない。その紙一重に手が届くとは真っさらな無感情をまず得てからのこと。

わたしには意識として杖は在る。その杖は利用していいもんじゃない。意識は純粋だから杖でありつづける。

イメージしてくださいって、紛争地帯の砲弾が飛び交うところで今日やっと生きてるこども達にも効力発揮するのかな。

明日の命もわからぬ小児末期癌のこどもにもできるのかな。

すごい驕ったとんちんかんなアプローチだと思う。

人間やってないよ、出来たら。