猫の日だそう。

13時40分、本日元同居人と待ち合わせて足ツボマッサージに行ってみることになってる。


18日日曜日、突然に会うことになった。

その前の晩に電話があった。

不眠続きで、集会も欠席しがちな私を心配して電話をくれた。


2時間近く会話した。

約4ヶ月、一つ屋根の下で暮らした他人。

今はお互いひとり暮らし。


彼女が『食材が二人ぶんあるので、明日よかったらいっしょに食べませんか?』と。

先日のお礼を兼ねてということもあると思う。

私は集会を不参加し、ほぼ48時間眠っていないと話した。


翌日よく晴れた。

三寒四温の真っ只中。彼女と参拝し彼女はすこし買い物をして私の家にきた。

眠れないついでに3時くらいからずっと掃除をしていた。

まるでいつもそんな部屋のように。


彼女が用意してきた食材で、台所で料理を作ってくれてる。

小松菜を切るザクザク。

人参を刻むトントントン。

フライパンに油を入れてヘラで食材を炒めるザァザァザッ。


私以外がこの部屋で音を奏でてるのを聞きながらしあわせが溢れた。

ビビンバ丼。

ゆめぴりかを1合、ちょうど帰る頃に炊き上がるよう予約をしておいた。

炊きたてご飯を彼女がよそってくれ、上にビビンバをのせて真ん中の凹みに温泉卵ひとつ割り入れて。


【ひととごはんたべるのって、いいですね。】と同居人がポツリ。

【そうですね。しあわせ感じる~。】とわたし。


まるで何の問題もないしあわせな中年女友達の会話のよう。


此処はシェルターではなく、利害関係のない関わりに漸くなり、けれど片方の家で、お昼ご飯を作ってふたりで食べる。


こんなしあわせはどれくらいぶりだろう。

元親友の家で食事をして以来。15年ぶりくらい。

信頼がなければ家には招かない招かれない。

言葉で伝えるよりはるか大きい鍵を渡している。

その鍵はふたりで大事にしなくてはいけない。

私が元親友に家を教えない理由、招きたくともできない理由。


あと10年するとほぼ母が死んだ歳に近くなる。

2月17日、母が逝った日からまる10年。

今も母はわたしのことを心配で下界に時々下りてくる。

私が呼べば感じる。

もうすこし生きる。


母が私を連れていきたいと泣いた日から、もう10年生きとるなんて、おかあちゃん。家を出てまだ闘いはおわっとらんがうちはこれでええと思うとる。


不眠と花粉症と過食症と鬱と老化で、こっちの世界で身体が生きとる。

いっしょに焼肉にもいかれん。カラオケにも行かれん。田舎にもふたりで帰られん。おかあちゃん、いうて呼んでも音では聞こえん。


おかあちゃんもおとうちゃんもおばあちゃんもジュリーもピピもソリアもそらのなか。


こっちにおるんよ、うちはね。

今日は元同居人と足裏マッサージにいってみるんじゃー。


安楽死させてほしい時にさせてくれる日本になってたらええのう。

叶わんろうけぇ、それなりの準備と勉強が必要な。

いつでも逝ける準備をして毎日を丁寧に生きるんよ。


御先祖様方はおとうちゃんもおかあちゃんもおばあちゃんもしあわせにはしてくれんかった。

他力本願言うが、あってええと思うよ。

いまはそらのなかに泳いどるおとうちゃんとおかあちゃんの御先祖様方、うちとお姉ちゃんとふたりが大事に思うひとらぁを常に見守って助けてください。