だれかの、否、最も愛するひとに自分を犠牲に昇華させた時。不幸と幸せは最高潮と達する。
それがわたしには母だった。
母がどんな人物人格者であれ、母の人生の最後の日々に近くで生きられたことは本当にしあわせだった。私の人生で最も精神がうつくしく肉体は極限に疲労し、すこしづつおちていくエネルギーを見届けさせてくれた母が恋しい。
こどもは親の一部であり、子としてうけいれる。
私が私であることは母が私を産み落とした瞬間からそうであったのだろう。
であるなら集会で習う自己肯定感などという胡散臭い言葉には向き合ってみせる。