昨日から師走に突入。

オオサンショウウオったらお前もう家を出て一年経つかぁ?と惚けたことを言う。

私は家を出て、夫の溜息に怯えなくなって1年7ヶ月が経とうとしている。

夫のことは敢えて言うと、憎みたくない。その深層心理は私にはわからないが恨みたくない。

私が服従から逃げた朝から夫は私を殺したいほど憎んでいると想像する。文字に書くのさえ今も怖い。


調停から裁判になり、夫の人生の邪魔を私はし続けている。

最後にもらった手紙には泣き言のような懇願が綴られていたが、わたしは家を出る一秒前まで泣き言という一言で済ませられない、ひととひとの、夫と妻の、家族の、夫婦の、会話を夫に音にもして何度も心をノックした。


けれど結婚生活の中で一度も叶えられなかった。

叶えられたのは酷い暴力を受けた後か、夫が事を起こした後の数時間、それは会話ではなく、夫の一方的な言い訳だった。

結果、結婚生活でわたしは夫の操り人形であり、金のかからない信頼できる他人であり、家政婦だった。


わたしは閉経し身体の衰えを自覚し、【じぶんの価値】を考えてみた。

夫という孤独で自己愛しかない男の傍らにいる身として【わたしという人間の価値】は、あまりに釣り合わず勿体無く、もはや尽くす、捧げる、添い遂げる価値がない人だと、心を折った。

細かなエピソードは書けないが、大きな肉体への暴力と同日、とことん私自身の人としての尊厳をたたきのめされた日。

あの時、結婚を決めた日の誓いを、じぶんの中にずっと在った誓いの灯火を消した。

夫のざれ言とすべての言葉は言い訳でしかなかった。

その日から、一切を閉ざした。


円満とは?

満足させていた結婚生活とは?

誰に、空に吐いてることばですか?

数々の仕打ちが犬以下の生活でもわたしに相応しいとさえ思わされていた日々は、玄関を蹴り上げ家を出た朝から随分の月日が経った。

病院へ通い、精神科に通い、カウンセリングを受け、先生方から支配とコントロールについて学びを受けた。


その月日は私を生き返らせてくれている。


私の価値がわかってもわからなくてもいい。

ただ、ある時期まで貴方のこと以外、なにも欲しいものがなかった。貴方の健康、貴方との会話、貴方と共に過ごす時間。

ノーガードで貴方だけを信じた。

そして終わった。


寒々しいひとりの朝は、恐怖のない世界。

足音にも溜息にも私を呼ぶ声にも震えない世界を生きてる。

信じ捧げたから、寂しくもなく悔いもない。


貴方が誰かにいったように、じぶんに相応しい世界とやらで、貴方のいないひとりを生きてる。

仲間はいる。

妻や恋人に暴言や罵り謗り、暴力をふるった男は生きていなくていい。


ある集会でわたしは言った。

暴力の加害者である男がここにいなければ納得できないし世界は変わらないと思う、と。

被害者は皆といっていいと思う。おそらく恐ろしくいい妻だったはず。

その妻の脳、思考をほぐすこと、癒すこと、考え改められるまで教育することは大切だが、加害者の教育こそ困難で、否、不可能で、時々奈落の底の底まで、今やっているすべてが馬鹿らしく無意味に感じられて脱力する。


だがわたしは昨日から試みを開始した。

これもその恩恵。

信じてやり続けてみる。


弁護士との打ち合わせで親友との会う日が危うい。その旨と他に都合のいい日をいくつか書いてメールしておいた。

もう一件の電話は予想通りで、なにも考えずその時の自分でそこに座して、ことばを交わしたい。


昨日は一駅、往復、のろりゆらりゆらり歩いた。

白杖をついた若い男に行き先を尋ねられ、連れていって欲しいと言われ、100均までまた引き返した。『右に曲がります、すこし右に曲がります、左にすこし歩きます、突き当たりが100均です』

案内など初めてで、男の子は私の右腕にずっとつかまり歩いていた。

男の子の手が右胸にずっと当たり変な脇汗が出てきそうだった。

冬用の手袋を買いたいという。スマホが触れる手袋がいいという。

弱視なのか、柄をわたしに確認してくる。

色の説明をしてブルーとホワイトのストライプの手袋を選んだ。

レジの列が混雑していて一緒に狭い隙間に並んだ時も腕はつかまれたままで、ブラジャーのワイヤーがバレバレじゃんと、大汗をかいた。

レジを終えてあえて急ぐのでと断って、その場を離れた。


いいことをしたとは思わないが、いいことをされた気はする。

歩かなかったら、電車で行ってたら無かったこと。

私を発熱させたのだから、いい一日だった。