土曜日朝8時まで一睡もできなかった。
前夜デエビゴを10mg飲んだがまったく眠れなかった。
オオサンショウウオにも垂直にも『絶対に午前中病院で診てもらって』と心配されていた。
勿論そのつもりで時計を何度も見ていたがそういうときの時計の針って動かない。
最後に見たのが8時20分くらいだと思う。目が覚めたら10時50分。
クリニックは午前中しか診察していない。
ムカムカと怠さとフラフラで諦めかけたが、発奮してブラジャーをつけて、制服を着るように次々と引っ張って身なりをととのえた。
眉毛だけは描いた。髪の毛は手櫛。ハンカチ財布をもって家を出た。
乗り継ぎがうまくいってクリニック駅まで予想より15分早く到着した。
余談だが元同居人の勤める駅で元同居人が乗り込んできた。
偶然の鉢合わせ、3回目。
出不精のわたしが出かけるときに知人に会うなど、元同居人以外かつてない。よく使う線には仲間たちが多く住んでるんだと思うが出会ったためしがない。
この前は弁護士にのところへ向かう途中のエレベーター、その前はクリニックの帰り道、正面から彼女が歩いてきた。
こんな偶然笑うか怖い。
けれど、具合が悪かったので喋らなかった。彼女は疲れを癒すためのスーパー銭湯のチケットを金券ショップに買いに行く途中だと言った。
流石、小金持ちはこういうところで節約することを惜しまない。
横断歩道で分かれてクリニックへ入った。
急性胃腸炎。でしょうね。
ナマモノを食べましたか?と聞かれて、前夜半額のエノキを炒めて食べた時、味がおかしくて数口で捨てましたと申し出た。
先生はきのこは酷いからねぇ、、、と言った。
エノキか前々日のアメリカ産豚バラ肉を玉葱と生姜焼きにした時も豚肉がやたら臭くて捨てた。
思い当たるとしたら、、、エノキかなー。
ビオフェルミン、ドンペリドン、ロペラミドカプセル、それぞれ腸を整える、吐き気をとめて食欲不振回復、下痢止めのくすりを七日分処方された。
近所の薬局は土曜日の12時過ぎ混んでるなんてものじゃなかった。
皆、病人。
咳をするもの、身を倒してうずくまるもの、杖をつく若い御婦人。付き添いに肩を抱えられてフラフラはいってくるひと。
熱帯魚を見ていた。大きな水槽。
待ち時間が40分はかかると言われ、空気に耐えられず薬局からでた。
行く当てはない。でも小春日和というのかポカポカしていた。歩くとムカムカしてくるが具合はだいぶ良くなっていた。
伊右衛門福寿園をちびちび飲んでもおいしさが分かる。
おいしいって思えるしあわせは、私に力を強くみなぎらせる気がした。
薬局で薬をもらってその場で飲んだ。
100均でゴミ捨て用のポリ袋を3サイズを買ってカレンダーを一つ買った。
茶わん蒸しを途中のいつもの店で買った。
くすりって効くときにはピシャリと効く。
食欲望復活。
だが、あの苦しさとまだあるムカムカとフラフラ、熱っぽさが茶わん蒸しを選択させた。
夜もよく眠れた。丸二日眠れなかったので寝続けた。
日曜日。
今日。
10月29日。ほぼ完治。
死ぬかと思う嘔吐と下痢発熱は、薬と自然治癒力で治った。
母を思わずにはいられなかった。
病気は治るから苦しみを耐える価値を見つけられる。
末期癌リンパ節、骨複数転移、原発巣癌は死ぬまで不明のままで秋に来年の桜は見られないと言われたら。
医者はデータで物事を言う癖に、寿命を感情をえぐり取る喩えで母と私に告げた。
今だから言える。あの医者は人間業が未熟な准教授だった。
母は治らない病気と生きた。
母に会いたい。苦しいとき母を思う。
母に会えるまでもうすこしがんばる。