春シーズンの花粉症は発症して10年くらいになる。

去年一昨年あたりから残暑が終わり、急な冷え込みが始まると春にもなる右眼からボロリボロリと涙がでる。

おまけに鼻と鼻の周りは皮が剥けて鼻水が止まりゃしない。

ティッシュペーパーも値上がりして、トイレットペーパーで鼻水をかんでみるが痛い。


先日の内科受診でアレルギー薬を2錠に増やしてもらったが効き目は感じない。


効き目は精神科での臨床心理士とドクターの言葉はまだ効能を感じて過ごしている。

臨床心理士から二枚の紙をもらいそれを日々記録している。

と言ったってまだ三日目だから波に乗ったとは言えない。


脳は騙せることを知ってはいる。

そして脳に反逆される絶望も何度か経験してる。

反逆されて負けたら年単位以上の、もしかしたら数十年の仕返しを喰らう。


20代前半90キロちかくあった体重を1年間で53キロまで落とした。この時に一般の女性がとっくに知っているはずのナンパや見知らぬ男性から容姿を賛美される優越感を味わった。

同時に強烈な落ち込みも。

男を知らなかったから、男ってヤツがここまで【外見】で女性に欲望を熱烈に抱くものと知らなかった。

それは本当にショックだった。

1年前までの私は通りすがりの見知らぬ男に『ドケヨデブ』『ジャマダデブ』と吐き捨てられたりすることが時々あった。


1年後の私は正規雇用されている病院が終わると有楽町の料亭で0時までアルバイトをしていた。そしてそこの客にもアルバイトの男の子にも帰りの電車でも所謂ナンパをされまくった。

住んでいた駅で一緒に降りてきてまで執拗に食い下がる人もいた。そしてその彼は素敵な外見をしていた。

これらのことは酷く私を落ち込ませ溜まったストレスがトリガーとなって、付き合えないなら太ってた時の自分でいいじゃないかと思うようになった。

だって弛んだ肉の裸まで愛してくれる勇気もないであろう、想像さえできないであろう、ストレートな欲望をむける男どもに歩んできた人生を話すには、いくら世間知らずの私でも憚られることは判った。


ライトな関わりをコイツらは求めていて、私がどう生きてきた22才かなんて知ったこっちゃない。

理解できますよ。

そうして脳の反逆にあい気がつけば元の木阿弥、巨体になっていた。


こういう減量をこれまでにあと2回したことがある。

近々は三年前。

その前が夫と結婚して夫がみるみる痩せていってその方法でわたしも痩せた。

けれど必ず脳の反撃を喰らう。

その反撃に自制心と盲信を継続する力のみをもちつづけた者だけがダイエット、大幅減量の成功者となれる。


痩せることはできる。割と難しくはない。しかし痩せた体型を維持しつづけるには多くの欲望、煩悩の嵐に盲信で勝ち続けるしかない。


私は年齢も死に近づいて痩せたいと思わなくなった。

否、痩せたい気持ちはあるが、好きな食べ物の欲望に負け続ける快楽が勝った。そして人生最大値を計測し先日の臨床心理士とのカウンセリングで『欲望をコントロールできるようになったら生まれてきた価値があると思える気がする。自己肯定感とやらにタッチできる気がする』と、窮状を告白した。

言語化能力は100%発揮できた。

苦手なはずが、流れる水の如く言葉は的確に想いを音にした。


常にこう在れるなら私は誤解を受けず、見くびられもせず、等身大の私を認知されるはずなのに、集会ではこうはいかない。


うんこがふんづまってる。

今日はレタスと鶏肉でカレーにしようかな。

柔軟性は老いていくにあたり必須だろうから家で、っぽいことをしようと思う。


臨床心理士に、ひとと深く関わらないことが私の私を守る方法だと応えた。

共感しすぎる、共依存におとしこまれ易い性質を幼少期までに形成されてしまった私ができること。

裏切られたら許さない。それを継続する。赦すことがひととして在るべきものだと思い込んで苦しみ続けてきた。

ゆるさないでもいい、私でいい。

私に教えてあげたかった、もっともっとこどもの頃に。


そんなこんなで、次回のカウンセリングまで地道に盲信していく。