9月13日水曜日晴れ。

草刈りと洗濯をした。

この時期でも雑草っヤツはすぐに伸びる生える成長する。

小鎌と枝切りバサミを用意して長袖を着て防備して庭先にでた。

この前刈ったのは一ヶ月半前くらいか。

あの草だけはちょっと目を放した隙にたけのこかってスピードで雨上がりの晴れ間にグインと伸びてる。

窓を開ける機会がこの雨続きと心の問題で、一ヶ月近くなかったのでカーテンを開けて呆然。

あれを放置すると枝を太くしてほんものの木になることを過去から知ってる。


一昨年、何年ぶりかに帰省して母の空き家の家周りの雑草を見て、絶望的な気持ちになった。

草じゃなくて見知らぬ木が数本立っていた。

わたしはひとりきりでも、よわっちい筋力で倒れたって、母の空き家の室内の掃除と家周りの草刈り草むしりと、木の伐採をやると決意していた。

すっかり身体は都会のおばあちゃん化していたが、これから自分がやることを考えると、まず筋として母の家の掃除をせねば何も始まらないと思い込んでいた。


母がわたしに望むことは生きている間に十分理解している。

しにかけの母を無理矢理連れだし、名義変更させた弟の土地であれ家であれ、母は『おまえらの家』、と言った。

弟夫婦は名義だけを自分らに変えて母の死後、一度もこの家に帰っている様子がなかった。

姉夫婦は母の生前は、空き家のその家を掃除したり草むしりをしてくれていたが、弟の暴挙に腹を立て一切その家から手を引いた、と言った。

私は弟にも姉にも消すに消せぬ沸きあがる怒りがあった。

母の『おまえらの家』の意味は弟にとって【名義】であり後は知らず、荒れ放題でもお構いなし。

帰省しても市内の駅近くのホテルに泊まっていたんだろう。


姉夫婦は弟の暴挙に手を引いた気持ちは解るが、あんなボロ小屋を、帰省の度に母は掃除をし草むしりをして『この家があるいうことがどがあに大きいことか解るか、帰られる家があるいうことがどがあに有り難いかおまえらには

解らんろう』と姉とわたしに言った。

三人でよく掃除をした。


その母が懸命に守っていた家を荒れ放題にして、市内へ買い物へ行くのに毎日通るその家をどんな気持ちで通過していたのだろうと、姉夫婦を恨んだ。

母の家だ。おばあちゃんの家だ。

みんなの家なのに弟も姉も勝手過ぎる。


私は一人で始めた。


三日目、姉がやってきて一緒に草刈り、木の伐採をした。

姉は掃除が上手だった、昔から。

姉が来て母の家は生き生きと息をしはじめた。

姉は『お母ちゃんがよろこんどる』と呟きながら私の倍のスピードで草を刈ってむしっていく。

家のなかはわたしが二日かけて大掃除した。ゴキブリやネズミの糞がいっぱい落ちてた。

もっと掃除したかったが体力が限界でできないところもあったが、毎日家にある窓を開放して空気交換した。

一人で眠りそこで生活した。

母が、先祖が、この先の私の未知の行動を空から見守ってくれるような気がした。

夫は数年ぶりに田舎に帰りたいと申し出た私に、『遊びで帰るんだろ。そんなの俺は一銭もださねぇからな』と言った。


母が無職ニートの夫を一人前にしてやった恩義があるはずなのに、そのことば。

『要らない』と、わたしは応えた。

夫の言動は予測していたので、危ない橋を渡って都合した。


神様がいるならば、どうか相応の罰を弟と夫に恵んでください。

唯、心で祈った。


あの帰省がなければ今はない。


掃除はしなくてはならない。借家であれ掘っ立て小屋であれ大邸宅であれ。


弟に義妹に、義妹家族に相応しい報いがありますように。

姉は私のお金を盗んだ。

それでも、あの家は皆の家。

母がそう言ったことがすべて。


恥という荷を弟も姉も背負ってる。

こころでは姉を許した。

でも事実は消えない。

罪は、ある。

罪を償うのは私へではなく母にでもなく、犯した自分自身に償うべき。

弟は『おまえアイツ(夫)とうまくいってないけぇ、お母ちゃんの介護いう名目で田舎に帰って息抜き出来てよかったのう』と、介護疲れから油断してタイルの上ですっころんで骨折し寝込んでる私の枕元で言い放った。

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母との死までの日々は、たしかにしあわせだった。

おなじほどの絶望とかなしみと介護疲れはあったが、あのお伴が出来たことは私の背筋を立てられる、経験したものにしか分からない喜びがあった。

生まれた時の感動は記憶がないが、母の死への道程のお伴の喜びに、弟は嫉妬したのだろうか。

なんでもいい。

弟はろくでもない人間に成り下がった。

生涯弟は記憶のなかにしか存在させない。

母は赦してくれるだろう。


明日はカウンセリングと受診。

明後日は集会。

昨日弁護士に電話した。

8月は裁判がなかったそうだ。

ないなりに連絡しろとは思うが、電話をしなかった私も私だ。

今月が夫側の弁明で、来月がわたし。


昨日の草刈り草むしりで腰が痛い。

筋道がある、ことを無視して善良な仮面はふりまけるが、善をみているものがあることはそういう輩どもは踏みにじって生きることができる。


今日は床ぶき、布団乾燥機をかけてシーツ交換した。

掃除ができないヤツって生きる価値ない。